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テーマ:ショートショート。(573)
カテゴリ:自薦
喫茶店の入り口に掲示があった。
“当店でのデータ交換はおことわり申し上げます。” 最近は、どの店もそうだ。 書いただけで、効果があるのだろうか?いや、ないだろう。 それほどに、データ交換は広まっている。 席についてしばらくすると、ひとりの男が離席した。トイレに立ったらしい。 店を出たのではないのことは、持ち物がテーブルに残されているのでわかる。それは… 携帯電話。 彼の携帯電話がテーブルに置いたままだ。 しばらく様子を見る。 今日は、他に立つ者はいないようだ。 オレは、自分もトイレに行くふりをして、通路を歩きながらその携帯を取った。 そして、自分の携帯電話をテーブルに。 携帯をすり替えたのだ。 洗面所で。 男の携帯からデータをすばやくロードする。 席にもどると、男は着席していた。ころあいを見て、彼もオレのデータをロードするのだ。 そうすれば… データ交換終了。 その店での食事を終えて、オレは店を出る。駐車場に、男の車がある。いや、今はオレの車だ。 車は、キーレスエントリー。携帯電話をキーにして乗ることが出来る。 男の携帯はオレが持っているから、オレの車なのだ。 オレは、その男の家へむかう。 初めてだが、よく知っている家。 家の鍵も携帯電話だ。 誰かいる。 男の妻だ。 「あら、あなた。今日は早いのね。」 「ああ。」 この女も、自分の夫の顔をろくに見たことがないらしい。 顔や血液型や指紋は、個人を識別する役に立たない。携帯の情報が全て。 男の記憶も全て携帯電話の中。オレはその記憶も全てロードした。 男の記憶、所有物、人生、全てを交換したのだ。 携帯を持つものが、その男となる。 それがデータ交換だ。 個人情報のシステム管理を、あまりにも性急に行った結果がこれだ。 人々が、“自分”というものを、こんなにも安易に手放すとは、為政者は思わなかったらしい。取締りの手段が追いついていないのが現状だ。 それに、この問題に真摯に取り組んでいる開発者もいないのではないか? 犯罪は増加せず、むしろ減少傾向にある。おそらく、犯罪者は携帯電話によるデータ管理ではないからだ。非・携帯型データ管理に載れば、一生“自分”というものから逃れられない。昨日までの自分を容易に捨てられるというのは、ストレスレスで快適なのだ。その証拠に、自殺率は急減している。 困るのは、支配する側だけ。 誰がこの自由を手放すか。 夜、オレは男の妻を引き寄せる。 「おや?君は男だったのか。」 「あら、何よ、いまさら…。」 妻は笑うが、わかるものか。 昨日の妻と目の前の妻、同じ人間だという保証がどこにある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004/06/02 12:46:50 PM
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