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テーマ:ショートショート。(1084)
カテゴリ:自薦集1
私は老いた。
もうすぐ天寿をまっとうするだろう。 この年になれば、人は仏門に入る。私も出家して隠居した。仏道に励み、御仏の慈悲にすがり、安らかに死を迎える、そのための修行をするはずなのだ。 だが、私には、それが出来ない。南無阿弥陀仏を唱えることすら…。 私は、悟ることができない。 俗世を捨てた自然の中の、小さな庵での一人住まい。元々、出世もせず妻子も持たず、今の生活に入るのに、何の抵抗もなかった。むしろ、今の生活に安住している。だが、それは悟りの境地に達したからではないのだ。 何かが私の心をつき動かす。不満でも後悔でもない。それなのに、何が悟りを妨げているのか。 それは、私が覚えているからだ。 大きな屋敷が一晩で焼失するのを見た。 瓦礫の上に新しい家々が立ち並ぶのを見た。 思えば、私の生きた時代は、動乱と混迷のさなかであった。戦乱・大火・地震・飢饉…。 多くの人が死ぬのを見た。 例えば、養和年間の飢饉。 どんな財宝よりも食料の方が貴重になった。その上、疫病が蔓延し、人は道端で死んでいった。飢えと病で死んだ人々は数え切れないほどだった。私は試しに、左京地区の死体の数を、四月と五月の二ヶ月間数えてみた。結果、四万二千三百体以上。この期間の前後、さらに他の地域まで計算したら、どれほど膨大な数になることだろう。 薪も不足し、人々は、たとえ寺院でも仏像でも打ち壊して燃料にした。 そんなあさましい時代でさえ、手に入れたわずかな食料を、醜く争わぬ者もいる。 本当に愛し合う者たちだ。 少しでも多く相手に食べさせようとするので、より深く愛した方が必ず先に死ぬ。親子なら、親が子に食べさせて先に死ぬ。母親が死んでいるのに気づかずに、乳を吸っている幼子の姿。 私の死とともに、その記憶も消えてしまう。 書き残さずにはいられない。 その欲望が煩悩なのかもしれぬ。 時の流れを川とするなら、人の命は川面の泡だ。一瞬浮かんでははじけて消えていった。 社会は、川がそこにあるように変わらず存在するように見えて、実は流れ行く水のように常に流動していた。その社会の上に成り立つ人々の暮らしが、安定しているはずもない。 その生きにくい時代を生き延びて、時代という川の流れを、傍らで見ていた者、それが私だ。次々にはじける泡のような命を、記憶している者、それが私だ。 朝に咲き夕にしぼむ朝顔の花、その花にやどる朝露の光。人の世の栄華など、そんなものかも知れぬ。 それでも花は咲き、人は生きる。 川の流れが尽きぬように、人々の暮らしも絶えることはない。 私は、それを記録する。自らの悟りを得ることも無く、書くことにとらわれたまま死ぬのかもしれぬ。 この方丈の庵で。 -------- 私は、国文科ではないのですが、単位あわせのために取った講義が「方丈記」で、教授が”一般に言われている無常観だけの随筆ではない”と言ったのを覚えています。 あまりよく研究したわけでもないのですが、高校の教科書に載っているような部分を読んで、 「この人は、ルポライターじゃないのか?」 と、思いました。 この文章は、方丈記の最後の部分・養和年間の飢饉・冒頭文を組み合わせて作りました。解釈というよりは、創作に近いものだと思ってください。鴨長明がこういう気持ちだったとは限りませんので。 ----追記---- この記事は小説なんで、関連性が薄いのですが、私がほぼ日参しているブログにガ島通信さんがあるのですよ。新潟震災の記事など、方丈記と相通ずるものを感じていました。「誰かがこれを伝えなければ」「この目で見たものをつたえなければ」という気持ちが鴨長明にはあったような気がするのです。 私にとっては、方丈記前半の災害記録は、報道の原点のような気がしてならないのです。 だから、最新記事の岡山で会いましょうにトラバさせていただきます…。 リンク先は”この集会のコンセプトは『新聞の将来に危機感を感じる声が同業者内でもよく聞かれる。不安、疑問を持っている若い人がこの先新聞業界でどんな風に働いていくのか、みんなで集まって考えたい』”という集会が岡山で開催される、と、いうものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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