義家弘介のこと
すいません、コメ返しも応援クリックもすっぽかして、選挙のゆくえ見てました。富士丸君と穴澤さんが出てて、それは嬉しかったけど、それ以外はとんでもね~番組よりず~っと引き込まれました。安倍晋三はやっぱし「壊れたレコード」で、バカの三つ覚えくらいを、ひたすら繰り返す。自由民主党は、安倍晋三が悪いわけではないと、バカのひとつ覚えを繰り返す。閣僚の「不規則発言」(って自由民主党は言ってるね、ちげーだろ!)のせいだって。年金問題も、かなっらず「社会保険庁の問題」ってさ言い換えてるね~。あのさ、これって、「安倍晋三はマネージメントできる器じゃない」そういうことでしょ~が。安倍晋三がやった強行採決バカに任せてはおけない、単純に考えたらそういうことでしょ~が。ここは日本で、朝鮮民主主義人民共和国でもフセインの頃のイラクでも中華人民共和国でもないそういうことです。で、選挙中は書くのを控えたことがあります。義家弘介のことです。私は、たぶん、彼に会ったというか、彼がいる場に立ち会ったことが何回かあるはずです。「河合隼雄さんのこと」のところで、「講演は受けない」と書きましたが、それでも数えられるくらいのいくつかは受けて、お話しいたしました。断れないくらいお世話になった方から依頼があったとき。もひとつは、受ける意味や価値があると、私が感じたときです。意味や価値があると判断したひとつに義家弘介が勤務していた高校でのものがあります。私は「講演依頼」があっても、基本的にお願いするのは、「事例検討」を基にすること。私が、何か「美しいこと」を言うのではなく、『対話』をしたい。単方向コミュニケーションは、私の今ある能力を疲弊させるし、そういうことはしたくない。そのためには、「こういうことが、今ここで、あって、そのアプローチを一緒に考えていきたい」そういうことです。それに応えてくださったのは今のところ数か所その一つが、義家弘介の勤務していた学校でした。講演というか『対話』は、白熱し、ほんとうに私にとって実り多いものでした。ですが義家弘介もその場にいたはずなのですが、彼はひとことも話さず、たぶん、居眠りしておりました。事例検討を始める前の自己紹介で彼が言ったのは「私は本校の卒業生です」それだけ。一生懸命な事例検討の議論、彼は参加しようとしませんでした。そういうことです。何か言いたそうなそぶりも見せませんでした。ひたすらうつむいてました。これが彼、義家弘介です。一方水谷修先生は「天木さんの、自分の信念に従って生きる生き方とても好きです。私もそうして生きてきました。天木さんの、この国を思う気持ち尊敬します。平和で,すべての子どもたちが、明日を夢み、目を輝かせている社会、何としても作りましょう。私は 、子どもたちのもとで、子どもたちの明日を作る手伝いをしていきます。私は、教員ですから」と9条ネットの天木直人さんに推薦文を入れておられました。。ヤンキーは安倍にすり寄って、自由民主党から出ました。...しかも安倍晋三直々の要請を受けて。これは裏切りでしょう。それまでのジブンへの。もうひとつ。義家弘介の男女関係、とりわけ彼が塾講師以来の言動とやって来たことを精査すべきだと思います。大マスコミは、こういう経歴を追っていただきたいです。たぶん、ボロは、いっぱいでます。彼が「教育」に情熱を持っているらしいことまでは、分からないでもない。でも、子どもたちに、いったい何を「教育」するのか。安倍晋三とつるんでいるのであれば、教えるのは「美しい」何事かでしかないでしょう。←まかせられない ポチ人気blogランキングへ←何も言うまい ...ポチ!