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カテゴリ:もろもろ
「関西に台風が上陸する可能性があります。」 最近では良く聞く表現である。 「可能性」という言葉はもともと「成功する可能性が高い」や「実現する可能性がある」「無限の可能性がある」と言ったように、プラスイメージの言葉であったはずだ。 台風に使ってしまうと、どうも、このコメンテーターもしくは気象予報士は「楽しんでいやがるな」という感じになる。 この場合「台風が上陸するおそれがあります」が適当なはずだと解って欲しい。 もちろん、そのように表現する気象予報士もおられる。
「犯人である可能性がある」 と言う表現ももちろん可笑しいことになる。 この場合は「犯人である疑いがある」であろう。
ギンギン耳に刺さってくる表現である。 昔、「ら抜き表現は云々」と言うことが言われていたが、「食べれる」「みれる」という表現が普通に電波にのっている。 一般の聞き込みやインタビューなどは言うに及ばず、スポーツキャスター、一般のコメンテーター、果ては司会者、アナウンサーまで・・・・
「なので・・・」で始める表現はいつから市民権を得たのか。 インテリと言われる人に特に多いように思われる。 「なので・・・」と言えば論理的に聞こえると言うのか。 一時期は、「『なので』は接続詞じゃない」、という論議は結構聞くことができた。 最近では言葉を生業に小説家の中にも地の文で使っている人もいる。 小野不由美の『残穢』の中でもあったように記憶している・・・ あの小野さんがである・・・・orz 教育現場でも当たり前だし、学生たちのレポートでも連射してくる。
言葉は変遷すると言うのは判っているが、その過渡期には何となく拒否感を持つ者も多くいて、どうして良いか全く解らないまま、聞き流すしかないのである。
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最終更新日
2013.10.03 05:16:53
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