カテゴリ:ナーラダ・バクティ・スートラ
『ナーラダ・バクティ・スートラ』
第55節 それを得たなら、もはや彼はそれだけを見て、ただそれだけを聞き、それだけを語って、ただそれだけを思う (要旨解説) プレーマを得たならクリシュナとのアプラクリタ・リーラに入る。主の内的エネルギーの世界に入り、主に仕える。そして仕えられるより、仕える立場のほうが幸せなのを知る。「愚かな人は、この仕えるという心情の奥にある富を理解できない」『CC Adi 6-104』とある。全ての感覚器官がクリシュナに向けられ、もう二度と離れられない。「バクティ」のみに魅かれ、ダルマには無頓着になり、あるいはダルマを無視する。物質次元のモラルに左右されなくなる。これをニラペクシャと呼ぶ。『CC Madhya 3-212』の要旨解説にバクティ・シッダンダ・サラスヴァティによるニラペクシャに関する説明がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 6, 2015 07:03:14 PM
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