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カテゴリ:文芸
![]() 著者の桂先生自身の講義を受ける機会を得た。 テキストに書かれている内容も、桂先生のお話もたいへん興味深いもので、 それ以来、私は鈴木商店というものに大きな関心を持ち続けている。 その講義は「経済学」の講座の一つとして設けられたもので、 当時の日本の経済活動を、鈴木商店の発展を通して学ぶというものであった。 それ故、お話しとしては、どうしても大番頭金子直吉の活躍が軸になる。 だが、その活躍を支えていたのは、創業者鈴木岩次郎の未亡人・よねだった。 本著は、その鈴木商店で「お家さん」と呼ばれていたよねを主人公に、 鈴木商店が急速にその事業を拡大、発展していく様子を描いた作品であり、 上巻は438ページ、下巻が474ページ(「解説」を含む)という長編。 著者は、神戸とは縁の深い、玉岡かおるさん(本作で織田作之助賞を受賞)。 本編は、よねの語りによって、ストーリーが展開していくが、 所々、第三者が事の推移を語る部分が挿入されている。 そして、第三者が語る部分は、標準語によって記述されているが、 よねの語りの部分は、いわゆる神戸弁で記述されている。 そのためか、最初は、読み進めるのに思いの外、時間がかかった。 神戸弁に馴染んでいる私ですら、そうなってしまったのだから、 関西の言葉に馴染みのない読者なら、より時間がかかるかも知れない。 それでも、しばらくすると次第に慣れてきて、読むスピードも上がっていくはず。 本著で描かれている明治期の神戸の景色は、今とはやはり随分違っている。 また、神戸の日本における役割、存在価値にも随分違いがある。 明治期の神戸港は、世界へと繋がる日本の玄関口だったことが、ひしひしと伝わってくる。 時代の移り変わりを感じずにはおれない。 また、よねの語りからは、明治期の女性の姿がいきいきと伝わってくる。 夫亡き後、店を支える女主人となったのは、当時の女性としては特例中の特例だろうが、 嫁として、妻として、そして母としての女性の姿は、明治期の女性共通のものであり、 また、その行動や心情は、現代女性の中にも共通して見られるものであろう。 例えば、一度添い遂げながらも、諸事情から別れることになった元夫に対し、 いつまでも変わらぬ、淡い思いを持ち続けるという、まるで少女のような部分。 また、その元夫の姿を彷彿とさせる若い男が、目前に現れたときの理性を失った激しい行動。 さらに、その元夫が新しい妻との間にもうけた娘が目前に現れたときの行動。 そして、二度目の結婚相手となった亡き夫が、 実は自分より先に関わった女性がいたことを知ったときの驚きと嫉妬心。 その二人の間にできた娘が、自分の目の前にいることを知ったときの激情。 さらに、成長して自我を持つようになった息子に対する、母親としての葛藤。 本著は、鈴木商店の発展と興亡を描き、 その部分でも、もちろん十分に楽しませてくれる作品である。 しかしそれ以上に、明治期に生きた女性の半生を描きながら、 何時の時代にも共通する、女性の心情を炙り出すことで、より魅力的な作品となっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.10.24 14:40:07
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