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カテゴリ:社会・政治・時事
副題は「大韓帝国の成立から崩壊まで」。
「あとがき」には、本著の特徴として次の3点が挙げられています。 1.大韓帝国を主語にした韓国併合の歴史 2.史料を最重視した歴史学による手法 3.ここ30年近い間に発表された新たな研究成果を組み込んだこと *** さらには、明亡き後、儒教文化を堅持するのは朝鮮だけで、 朝鮮こそが明朝中華を正統に継承すると自負する。 いわゆる「小中華思想」「朝鮮中華思想」と呼ばれる意識が強くなった。 朝鮮は儀礼上は清朝皇帝に朝貢し冊封を受けるが、 内心は明朝中華を慕い、中華の正統な後継者は朝鮮自らだと考えたのだ。(p.7) 朝鮮においては、「儀礼上」と「内心」の二つを使い分けることが、 ごく自然なことであったことに気付かされ、目から鱗が落ちる思いでした。 そして、次の一文からは、「朝貢体制」の持つ意味合いが、 この時期に大きく変化したことに気付かされました。 清は、西洋がもたらした条約という手段を用いて、 中華秩序を欧米列強や日本に示そうとし、朝鮮との宗属関係を自ら変えた。 かつて「属国」の内政外交には原則として関与しなかった朝貢体制はここに変わっていく。 欧米諸国や日本との対話のためには、 宗属関係を条約体制の論理に読み替える必要があったからだ。(P.17) その後、日朝修好条規締結、朝米修好条規締結、壬午軍乱、甲申政変、 さらには、日清戦争、甲午改革、下関条約締結、閔妃殺害事件、露館播遷等々を経て 大韓帝国が成立し、義和団事件、日露戦争へと繋がり、 日韓議定書、第1次 ~第3次日韓協約、韓国併合条約が結ばれていくことになります。 *** つまり、朝鮮王国・大韓帝国と日本では、 政治の在り方も、それに伴う史実の記録や整理の在り方も大きく異なる。 そうした両国では、現在にまで残され、確認できる史料を突き合わせて、 日本ではこう記されている、大韓帝国ではこう記されていると議論しても、 平行線を辿る部分が少なくない。 条約体制の外交を実践した国とそうでない国の記録を、 対等に突き合わせて議論することは難しい。 他方で、日本側の史料だけに依拠するのは、日本の主観が含まれ、 日本から見た朝鮮史になることは言うまでもない。(P.244) 「平行線を辿る部分が少なくない」。 まさに、そこで停滞したままの状況が続いています。 二つの線が交わる日は、何時訪れるのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.06.11 13:42:03
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