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井原線ふるさとじゃ~ナル

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2020.08.03
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テーマ:読書備忘録(1335)
カテゴリ:【読書Memo】
書名:まんが井戸平左衛門 いも代官伝
作・画:遠藤幸次 発行所:井戸平左衛門奉賛会
 1990年2月28日初版
判型:B5判 95p
 子どもの頃から「いも代官 井戸平左衛門」という名前は聞いていたがお隣の笠岡市の偉人という認識だったが、60歳になっての石見銀山などを管轄する大森代官に任命されている。推挙したのは大岡忠相、長年勘定方として誠実な勤務ぶりを評価されてのことだった。すでに隠居願を出し悠々自適の生活をするところだったことを思うと気の毒でもあり、旗本として武士冥利に尽きるとも言える。
 享保の大飢饉を乗り切るために領民を助けるために商人や分限者から寄付を集めて農民に施したり飢饉に備えて当時薩摩でしか栽培されていなかった唐芋を旅僧を通じて手に入れ村々に奨励した。このような善政にもかかわらず飢饉による飢餓は予断を許さぬ状況になり幕府の許可を得ず年貢米を農民に分け与えた。
 その責任を問われ大森代官の職を解かれて笠岡陣屋に蟄居を命じられ幕府の正式な沙汰を待たずに切腹した。
 任期2年という短い間によくもこれだけ領民のために働いたと思う。
 平左衛門の死後、枯れてしまったと思われていたサツマイモが生き残り大森代官所領内で奨励されて以後の飢饉の備えとなり、石見、備中、備後の領内の人々に慕われ全国に「井戸平左衛門顕彰碑」が700基も建てられているという。
 事を成すに歳は関係ない。いかに覚悟を持って事に当たるかということだ。
 享保の大飢饉と現在のコロナ禍はよく似ている。イナゴの襲来もアフリカ、中東、インドから中国にかけて東に飛来してきている。食料不足は確実にやってくる。日本はどうする?いも代官に学んでほしいものだ。





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最終更新日  2020.08.03 15:37:21
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