テーマ:ニュース(99462)
カテゴリ:文
心が痛むってどんな時? 心が痛んで負ってしまう傷の具合は様々だけれども かりっとしたひっかき傷ぐらいなら日常茶飯事だ 気にしないようにしているにも関わらず、いつのまにか静かに降り積もる痛み 自分でも気付かないうちに、深い傷を負っていたりもする ときどき何かでスイッチが入って、その痛みは私を苛むのだ 身体の傷は治っても心の傷は誰にも見えず、自分でさえもその大きさはわからない 自分で自分の傷をなめても、治らない場合もある 誰かに癒されなければ、治らない傷がある よく聞く言葉に 「人は人に傷つき、人は人に癒される」 というものがある ああほんとうにそうだなと思う私は、体中が小さなひっかき傷だらけだ ちょっとした誰かの言葉に傷ついて、何気ない誰かの言葉に癒される そんなことの繰り返し それでも 目に見えない血をだらだらと流しながらも 人を信じることをやめられない かさぶたをたくさん作りながらも 人との出会いを信じたいと思う心をとめられない 人の心の裏にひそむ悪意に気付いても 私には、性善説を信じたいと思う心がどこかにあるのかもしれない なにげない人の言葉で、癒された記憶があるのかもしれない ************************ いつからかわからないけれど、ニュースを観るたびになんともいえない思いをすることがある。 特に少年犯罪や、年齢の若い犯罪者の事件の時。 事件の詳細や人間関係、犯罪に至るまでの経過や犯人を知る人のインタビューなどが報道される。 そして犯行を行った人間の昔のアルバムや卒業文集を公開。 アナウンサーが犯人の書いた文章を読み上げる。 そのたびに私はちりりと胸の痛みを感じる。 こんな人間がどうして事件を起こしたのだろうという流れで、 犯人を生身の人間、一個人として印象付け、 人間の心の闇といったものを感じさせるための一手段なのかもしれないが、 アルバムの写真(たいていはモザイクだったりするが)や自筆の文字を見るたびに、 このアルバム、誰が番組に提供したんだろうという疑問が頭に浮かぶのだ。 学校側が任意で提出したりしたのだろうか。 警察が物的証拠として押収したりしたものだろうか。 事件があるたび、番組側はアルバムや卒業文集を手に入れるために奔走しているのだろうか。 彼らに渡す人はどんな人なんだろう。 ・・・・・。 そしてまた目に見えない傷が加わったような気がするのだ。 でもたぶんきっと気のせいだろうと思う。 次の瞬間、画面にはおいしそうな回転寿司のお鮨がアップになり、 どれだけ安くて新鮮なネタかというリポートが始まり、 それにくいいるように見つめる私はたちまち食欲のとりこになるのだから。 ************** と、ここまで書いて、今聴いている曲が ルイ・アームストロング「この素晴らしき世界」に変わったとたん、 「この日記、アップするのやめよっかな・・・」という思いに囚われました。^^; だってこの曲を聴いたら、 「世界って、人生って捨てたモンじゃないかもね☆」 っていう気になったんです☆感化されやすいのワタシ でも実はこの日記、おとといから足掛け3日(っていわないか^^;)かけて書いているんです。 なのでドン引かれされようが、UPします~☆
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
ちょっとした事すぐつつく人いますよね♪
でも、私はすべて、批判と取らずに「ひがみ」と取っています(笑)あんまり気にしないで、そういう事する人は、すごく気にかけてくれてる人だと思っています♪((O(〃⌒∇⌒〃)O))♪ (2005年07月02日 23時23分10秒)
こんにちは^^
「心の痛み」をたくさん感じるekkoさんは人一倍「心の痛み」を理解できる女性だと思います。 理解しようともせず、平気で心を傷つける人はたくさんいます。しかも土足で踏み込まれた日には泣きたくなりますよね。私の10代は日々そんな感じでした。20代はそんな傷を埋めるようにかなり飛ばした生活を送り体や心を壊すこともあって。30代、ようやく落ち着いて回りを見られるようになって。私はまだまだ人生修行中。 ekkoさん、苦しくなったら吐き出して楽になってくださいね。旦那様にお話したり。。。 あと、千春のように書き出すのもいいかもしれません☆ (2005年07月04日 14時54分59秒)
ricoさん
相方にはばっさり斬られてしまうことが多々ありますが・・・^^; 人生修行の毎日です☆ 確かにそうですよね!溜め込まずに何かの手段で吐き出すことが有効だな~と思えるようになりました。 ノートに書き書きするのは自分の心も整理されるようでなかなかいいかなと思ってます。 自分で自分を守れるように強くなりたいです。それができれば周りの人間も守れるようになれるかな~なんて思ったりします。^^; (2005年07月04日 15時52分55秒)
そうですね。
自分が傷付いて初めて、人の優しさを知ったり、強くなることもありますよね。 けど、あんまり傷だらけになると、これ以上負傷してどうすんだ! って、神様に突っ込みたくなります。 ただきっと、自分もどこかで知らぬ間に、人を傷つけているかもしれない。 それでも、それを許してもらっているからこそ、ここに生きていられるんだ、 ってことも忘れてはいけませんよね。 ekko1992さんのおっしゃる通り、私も人の出会いを信じたいです。 人を信じることを止めてしまったら、人間に生まれてきた 醍醐味も無くなっちゃいます。 ただ、信じることに疲れちゃうときもありますよね。 そんなときは、「止める」のではなく、「お休み」すれば良いのかも。 って偉そうに言いながら、自分の感情をコントロールすることは難しいなぁ。。。 とりとめもないカキコでした、ペコリ。 (2005年07月05日 13時28分45秒)
bonnne-nuitさん
私も今まで自分が歩いてきたなかで、ずいぶん人を傷つけて来たんだろうなーと思いました。 自分の痛みだけに必死で、周りの人の傷に気付く間もなくやみくもに来たこともたくさんある気がします。 なんて傲慢だったんだろう・・・。とても恥ずかしいことです。 おおいに反省しないとだわ・・・と思っていたところでした。 傷つけたほうも、自分を守ろうとしたために周りを傷つけてしまうということもあるかもしれないし・・・。 そうですね。疲れた時はお休みすればいいのですね。 そう考えるととても楽になります。 ・・・ありがとうbonnne-nuitちゃん☆ (2005年07月05日 13時44分09秒) |