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カテゴリ:心を育てる
「親切」ということ一つを教えるのも難しいなあと思ったことがある。
息子が小学校5年生の時、仲良しのH君が下校時に転んで左腕を骨折した。利き手でなかったのが不幸中の幸いだったが、色々と不自由な思いをしていると聞いた。 H君と息子は同じクラスで席も近く、ずっと前からの仲良し。だから私は息子に「H君、今大変だから手伝ってあげられることは手伝ってあげてね」と話をした。息子も「そうだね」とその気になっていた。私は「親切」について教えることができたと思い込んでいた。 一週間ほどたって、何気なく息子に「H君の手はどう?少しは良くなったみたい?」と聞くと息子の様子が少しおかしい。ぶすっとした顔をして返事をしない。あれ?と思って「え?何?何かあったの?」としつこく聞いた。 息子は私の質問攻めから逃げられないと観念したのか話を始めた。「H君、最近自分でできることまで「あれして、これして」って僕に命令するんだ。まるで家来にされたみたいで」と。息子の表情は暗い。私が「親切にしてあげて」と言ったから我慢してH君の世話を焼いているようなのだ。 私は話の成り行きに唖然とした。まさかそんなことになっているとは思いもしなかった。すっかり「親切」を教えたつもりになっていたから・・・ 息子に「親切とは相手を生かすものでなければならない」と話した。たとえ親切心からでも、それをすることで相手が自分のするべきことをしなくなる、その人がだめになってしまうのは親切とは言えないと。そしてしてあげることが相手のためにならないと思うなら「NO」と、「自分でできるだろう?自分でしろ」と突き放すのが本当の親切だと話した。 「NO」と言うのにはそれなりに勇気がいったようだが、それでも「NO」と言ったようだ。それで二人の関係がおかしくなることはなかった。もともとH君も優しい子だから「NO」と言われて反省したようだ。優しくしてもらって甘える気持ちが出てしまったのだろう。 これは子どもだけに起こる話ではない。大人だって同じだ。善意や親切が裏目に出ることがある。日本政府が発展途上国に行ったODAでも似たようなことが起きている。援助を受けた途上国側に結果的に依存体質が生まれてしまったケースだ。親切一つ、でもその親切一つが難しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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