変身かな? 文振かな?
今日は朝から例の公民館文化振興会のイヴェント行事。今日は「歴史を学ぶウォーキング」という6km ほどの てなやつです。朝9時、公民館には25人程の方が集まっていらっしゃいました。今日のテーマはこの地に由来する歴史上の神社二つを巡るものなのです。一つは 小野神社。そしてもう一つは 小町神社なのです。日本国内に、小野小町のお墓は20数カ所にも及ぶ数があります。そんなロマンの1カ所を歩きながらみてくるお散歩を始めます。出発して5分、まだ団地内なのだが、カメラの後方に「D51」の機関車でちょっと説明。TVのドラマに「月影兵庫」というのがあったのですが、これをご記憶の方は、あのタイトルバックの山道をご記憶でしたら、あれとそっくりの山がこの団地造成前だったのです。そこには荷車も入らない、人が歩く道しかなかった様なのです。それを改修した記念碑で、会長さんが説明。写真では伏せ字にしましたが、ここは玉川という清流だった川。旧河川のころは、蛇行のせいで毎年のように洪水が起きていたといわれるところを現在の新河川に近い流路に改修した記念碑を見学。新河川の改修として更にコンクリート護岸にしてから雨による増水の心配は全くなくなったけれど、お陰で、「ヤマセミ」「カワセミ」や「シラサギ」でさえも川の魚が絶滅したのでいなくなってしまったのです。この神社延長5年(927)の「延喜式」巻九に「相模国式内社の内愛甲郡一座小野神社」と書かれていて、相模十三社の中に数えられている格式高い神社だそうな。(知らなんだぁ!)このあと二つ程の史跡をみて、田んぼの真ん中に浮かんだ様にあるこれに私の心はなぜか捕まってしまったのです。これは立っている小野というここの集落ではなく、隣の長谷という集落の人々が建てたといわれているのです。物語はこの場所に小野から長谷に田の水を分流する用水堰があったが、毎年これが流されてしまい、下流の長谷の農地は難渋していた。そこへ大山登山の修行者、桂坊なる者が大山からの帰りにここで自ら人柱になり、近くの建岩にその衣を掛けて入水した。長谷の集落小野の集落共にこのことに感動し、感謝してこの塚を後世までも残したという。(かなり粗っぽい話の流れですが…)この石の形、そしてこの話に心惹かれたBluesmokerでした。最後は、小町神社です。 が、ここは何となく社も神話に基づいて…ただ、美女であった小町さんはこんな露天風呂に入ったか、という池や、(言い伝えでは水鏡に使ったといわれる)井戸やそのほかいろいろ七つもの不思議を伝えてくれたようです。こんな三時間半 11,750歩のでした。