なつかしの青山
そう、もう一昨日になっちゃいますね。病院の定期検診が早めにすんでしまって、新しいカメラを手に築地から銀座に抜けて、そして地下鉄で渋谷へ。昼食をとると往年渋谷になかったものをいくつも発見。そして蘇ってきたのは、青山一丁目にあった中学校時代の渋谷。このころは既に50ccの山口オートペット。で走り回っていた高等学校時代でした。その当時、渋谷でデートをするというと道玄坂を右に入った洋菓子店の「ロロ」。向こうの分かれ道の正面の角店が「ロロ」のあと。そこから数軒奥の純喫茶「白鳥」。確かここにあったんだよ!もっと小さい頃によく行っていた通称「シブショク」(渋谷食堂の略称)そして、銀座と渋谷にはあった「食堂三平」。もう、交番で聞いても今のことは分かっていても、昔のことは分からない。当時は「宇田川堀」という別名があったほど悪臭を放つ掘り割りのような川でした。今は、そこに立つともなく立っている警察官、と交番。渋谷、青山には が腐るほど店舗を並べてるね。その1軒でコーヒーをポットに詰めて貰い、これも初体験の「ハチ公バス」なる乗り物に乗って青山方面へ運転手さんに「渋谷4丁目って、放射22号線(渋谷~高樹町)上ですか?」すると「へっ?」(こいつバスを運転していて道路名称も知らないか?)と思ったら、当時はそう呼んでいた道路が今では「六本木通り」と名を変えていた。【今浦島】ここのビルは建て変わってしまったのだけれど、ここに往年のGS「スパイダース」のプロダクション「SPIダクション」ていうのがあって、毎夜追いかけの女の子で賑わったのですよ。今でこそ、立派なことを言っている女性コメンテイターがジャンプしながらハンカチ振っていたっけ?ここが、私が育った場所なのですが、もうモダンなビルになっていましたっけ。【今浦島】青山にいまだにお米屋さんがあるのにも驚きました。これも幼馴染みの家。お米屋さんの角を曲がって、昨日書いた幼馴染みの家に行ってきたのです。帰り道、昔の電車道 今では「青山骨董通り」というそうですが…の角にあった、「シドニー」というクリーニング屋さんはビルの名称だけ残り、表はブティックだったかな?路地を越して、通称「升勝」正式には「増本屋酒店」、主人が勝二さんだから「升勝」。これも馴染みのない洋品店になっていたようですね。この辺で(骨董通りの246に近い方)懐かしさを持ったのにがっかりは「南青山6丁目交番」がどこかへ行っちゃったことです。でも、その向かいに「菊屋」という和菓子屋さんが健在だったのには思わずニッコリ。このお店、1年から3年までの低学年同級だった ○田○穂くんという同級生の家この子、家に帰ると番頭さんからおやつ代わりにあんこを食べていたのにむし歯がなかったのが有名なエピソードだったっけ。骨董通り、青山通り、青山学院正門前、宮益坂をへて渋谷まで17,000歩の になりました。