カテゴリ:読書のココロ(エッセイ・その他)
『黙されたことば』は、 詩というもっとも古い心の楽器のための、無伴奏ソナタとして書かれた ( 著者「あとがき」より抜粋) 【内容情報】(「BOOK」データベースより) バッハ、モーツァルト、ワーグナーからシェーンベルク、バルトークまで、 詩というもっとも古い楽器によって、 古今25人の音楽家と音楽の「生の核心」をあざやかに掬いとった待望の連作詩篇。 静けさをまなばなければいけない。 聴くことをまなばなければいけない。 よい時間でないなら、人生は何だろう? 本書の主軸となる『黙されたことば』という連作詩は バッハを詠ったこんな一節から始まる。 音楽とは、なにか。 詩人は作曲家の生涯に思いを重ねて問いかける。 言葉にならない言葉こそ 音楽だ。 バッハにとって、音楽は「生きるよろこび」であり、 またある作曲家にとっては「怒り」であり、 また別の作曲家にとっては 絶望、歓喜、悲しみ、喜び、幸福、 沈黙、悲愴、静寂、苦悩、etcetc… 語ることができなければならない、音楽は。 私が語るのではない。私を通して この世界が語るのだ。 (「世界が終わるまえに」(グスタフ・マーラー) より) * * * * 現在を聡明に楽しむ。それだけでいい。 無にはじまって無に終わる。それが音楽だ。 称賛さえも受け取ろうとしなかった。 (中略) 旋律はものみなと会話する言葉だ。 神はわれわれに、共感する力をあたえた。 無名なものを讃えることができるのが歌だ。 ( 「短い人生」(フランク・シューベルト) より ) * * * * * 平凡な人生から非凡な真実をとりだすこと。 音楽は生きられた音だ。よい音楽でなくとも 音が真実なら、うつくしい音楽だ。 (「ニューイングランドのひと」(チャールズ・アイヴズ)より) なぜひとは 「特別」であろうとするのだろう。 目に見える形で 「成功」を欲しがるのだろう。 とくべつなものなんて、なにもない。 目に見えるものなんて、なにもない。 みんな、幻だ。 真実は、空だ。 そこにあるものをほしがるから 手が届かないと怒りや絶望が生まれるのだ。 そこには、なにもないのに。 音楽も、 詩も、 真実を語る。 そこにはなにもないのだよ、と。 例えていうなら 古代ギリシャの寝殿のようなものだ。 音楽家や詩人は そこに頑丈でうつくしい支柱をたてるだけ。 なにもないその空間にこそ 真実はある。 ハイドンは、一番難しい生き方を貫いた。 すなわち、至極平凡な人生を 誇りをもって、鮮やかにきれいに生きた。 (「一番難しい生き方」(F・J・ハイドン)より) * * * * * * 急がねばならない。バルトークは言った。 静寂という静寂が滅ぼされようとしている。 尊厳を育むものは、だが静寂なのだ。 (「冬の光」(バルトーク・ベラ)より) 「特別」になることは 案外かんたんなのかもしれない。 自分はとくべつなのだと、 書き立て言い立てればよいのだから。 あの人はとくべつなのだと、 周囲に思わせるように振る舞えばよいのだから。 「黙されたことば」 ことばにならないものこそほんとうなのだと むかしのひとたちは、知っていたのに 文明人となった我々の騒々しさといったら。 川のせせらぎに、風のうなりに、 樹々のそよぎのメロディーに、 わたしたちはもっと、 「みえないもの」に 耳を傾けなければ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.06.04 23:44:56
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