カテゴリ:読書のココロ(小説)
『星の王子さま』を読み返している。
大好きな、というのではとても言葉が足りないくらい 愛している、たいせつな物語。 ことあるごとに、また、ふと思いつくたびに読み返す本だけれども こんなときこそ、なのでは、と思って 手に取った。 ページを開くたびに響く言の葉。 散りばめられた名言の数々のなかで いちばんココロに響く箇所は その時々で異なるけれど 今回、いちばん惹かれたのは 王子さまたちが砂漠の中で井戸を見つける終盤の場面。 とても集落などありそうもない砂漠の真ん中で 王子さまたちは井戸をみつける。 滑車も、桶も、ロープも 必要なものはすべてそろっている井戸をみて 王子さまは笑って 「ふしぎだね」 という。 そのとき、王子さまと一緒にいた語り手は 王子さまが何を探していたのかを悟る。 この水っは身体を養うだけのただの水とは違う。 星空の下を歩くことと、滑車のきしみと、 ぼくの腕の力仕事から生まれたものだ。 だから何か贈り物のように心に利くのだ。 ぼくがまだ小さい子供だったころ、 きらきら光るクリスマス・ツリーや、真夜中のミサの音楽、 にこにこしているみんなの優しい顔などがあってはじめて、 ぼくがもらうクリスマス・プレゼントが輝いたのと同じ。 「きみのところの人たちは」と王子さまは言った、 「たった1つの庭で5000本のバラを育てている… それでも自分たちが探しているものを見つけられない…」 「そうなんだよ」とぼくは答えた。 「みんなが探しているものはたった1本のバラや ほんの少しの水の中に見つかるのに…」 「そのとおりだ」とぼくは言った。 王子さまはこう付け足した━━ 「目には見えないんだ。 心で探さないとだめなのさ」 ぼくは水を飲んだ。呼吸が楽になった。 日の出を迎えて、砂は蜂蜜の色に染まっていた。 蜂蜜の色のおかげでぼくは幸福な気持ちになった。 それならばなぜぼくは辛かったのだろう…… (「星の王子さま」サン=テグジュペリ /池澤夏樹・訳 より ) わたしたちが「飼いならした」 おおきな、おおきな、 人間にはおおきずぎたものに対して 責任をひとりひとりが痛感しながら わたしたちはいま、 『目の前に見えている事だけが ものごとのすべてではない』 ということに あらためて、ほんとうに、気付いていかないといけない気がした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.04.07 15:49:37
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