ハロウィンカボチャを置いて見た & 昭和
🎃 ハロウィンカボチャを置きました。色の少ないガーデンが少し、元気になったこのカボチャなんて・・もう5年以上使ってるかも色あせてたので、オレンジ色のスプレーを吹き付けたよ。今度、この中にローソクを入れてみようカボチャを置いただけなのに、いい変化が起きた気がする。今日もいっぱい発芽中!トトロの森のように大きくなーーーれ♬ナナは大きくならなくていいからね。でも、オッサンが大甘で・・せがまれる度におやつをあげるもので、少し肥満気味になってる。モコも・・・オッサンも・・私もかなり厳しく「やめて」と言ってるのに長生きさせてあげたいからやめてよ・・マジで。さて、昭和の想い出 行きます子供の頃・・托鉢のお坊さんがよく家々を周ってきましたよね。昭和30年代は 今思えば まだ戦後のどさくさな時代だったのね。怪しい輩も来ました。その度に10円・20円を渡す役目を仰せつかりました。昔はどの家も入り口が開けっ放しだったので・・いつの間にやら 表でお経や尺八吹きが始まってた。ある時は尺八、ある時はお念仏、ある時は山伏のほら貝でも、頭にタオルを乗せて わけのわからん唄と踊りのおっさんにうちのオヤジがキレました。画像では「帰れ」としてますが、大分弁で「もう、帰っちょくれ!」と言い・・憤慨してました。オヤジは・・クソ真面目で 融通の利かないところがありまして例え10円のお金でも稼ぐのは大変な事なのに・・ふざけた感じの唄と踊りが、許せなかったようです。私だって、この10円があれば・・5円くじを引いて後はビー玉が買えるのに・・私も10円がもらえるなら アリャサっと踊ろうか?最近は托鉢をするお坊さんは京都でしかお目にかかれませんね。「行乞(ぎょうこつ)」「乞食行(こつじきぎょう)」とも呼ばれ、これも修行の一環とされていました。ちなみに僧侶以外の者が物乞いをする事を「乞食(こじき)」と呼ぶのはここから転じたもので 本来は差別的な意味では無いらしい。それから・・夏には きんぎょーーーえ、金魚🐡と金魚売りが来たりチリーん、チリーんと🎐風鈴屋さんが風鈴を沢山下げて来たり・・アイスクリン♪アイスクリン♪ と自転車で売ってたり・・ポンポン菓子製造機は怖かったな・・遠くから見てました。紙芝居屋さんは子供達に大人気でした・・テレビが出るまでは過ぎてしまえば・・昭和は本当にいい時代だったと思う。皆さんもいい思い出、つらい思い出、書いてってね。また明日も来て下さいね~、応援ポチっとが励みになってます