とある映像コンテストに呼ばれて出向いたっす。新橋からユリカモメにのって、やってきたのは有明っす。受賞した6人の若手の中に以前の仕事でいっしょにやっていた ショートモヒのD君の顔を見つけたっす。
「ええええ bunさんじゃないっすか~~~ 審査員だったんすか!?」
「あ~審査員じゃないんだけど、招待されたから見に来たんだよね。すごいな~D君。やるね~」
俺が育てたわけじゃないけど、なんだか嬉しいのも本当の気持ちっす。これからいろんなスポンサーがついてどんどんビックになるんだろうな~と思うっすよ。うんまさしくあの日の俺のようにね。
同時に世代交代という恐怖の言葉が、極太のゴシック体で俺の脳を駆け巡る。
若くない事も自覚しているし、新しい感覚から遠ざかり始めているのも自覚している。
あの日俺が何人もの年配者を 自分のセンスと若さだけでこの世界から葬ったように、俺も葬られる日がせまって来てるんすかね。でも、そんなことを素直に自ら認めちまったら、俺はそれで終わりな気がするっす。
若さへの嫉妬、才能への嫉妬、そして育った時代への嫉妬 そんな自己嫌悪に陥るようなジェラシーの嵐が俺を襲う。つまりくやしいのだ。
ただくやしさはそれほど悪いエネルギーではないとは思ってるっす。その"くやしさ"を”しかたない”で済ませてしまう事のほうがよっぽど、いけない気がする。
追いつかれて、もう追い越されたかもしれない若手を、老体をひきづって、追いかける気力を呼び起こすのは並たいていではないっす そしてあっというまに周回遅れ。
過去の栄光が大きければ大きいほど、襲ってくる絶望は大きい。
だけどあと5年は第一線の現役でいてやるとも思う。
逆に言えば、俺が俺でいられるのはあと5年しかないのだ、
ここで全力でスパートかけずに、いつかける と言い聞かせている自分