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柳居子徒然

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2009.05.24
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  氏子では無いが 今日は近所の神社 下御霊社の祭だ。子供の頃は年の内何日かある特別楽しい外出先 毎年例大祭は5月18日に行われていたが、いつの頃からか 土・日曜に掛けて行われるようになった様だ。供奉する多くの人の都合 祭も仏事も人が揃って成り立つもの 多くの神社が人の参集しやすい土曜日宵宮 日曜神輿の渡御にしているケースが多いようだ。

 嵯峨 車折神社の三船祭のように五月第三日曜日と当初から定めているのもある。嵐山 大堰川に舟を浮かべ 舟遊びの王朝絵巻の再現は人気ある行事だが、例祭の延長行事で神事ではなく 昭和天皇の御大典を記念して始まった。文人画聖と言われる富岡鉄斎は若い頃 車折神社の神官を務めていたが未だ三船祭は無かった。

 上・下御霊社が有るが、鎮座の位置の上下(北・南)ではなく 下御霊社は創建が東京極一条の東北に有った下出雲寺の鎮守として 御霊八所を祀ったのが始まりとされている。新町出水に移り 天正十七年から現在地に鎮座している。現宮司の出雲路氏の祖父 通次郎氏は有職故実に特に明るく 江馬務先生の著作にも引用がある。 有職故実に拘っているのか 江戸時代に立てられた社殿 門 塀 又木々にも 少々手入れが足らぬように思う 昨年突然崩壊した塀の一部も青いシートを被せたまま余り気にならぬと見える。十二燈を竿に結わえて宵宮当日練り歩く列はここと粟田神社だけである。

 上御霊社は朱雀天皇の御世 天慶二年の勧請とされている。皇室の産主神として庇護が有ったようだ。 先日 神輿の140年ぶりに御苑内の渡御に 宮司が目を赤く腫らして喜んだと云う記事が載ったが、明治維新以前は今出川門から通御の時 朔平門に神輿を奉安して天皇の御拝があったと云う。

 神輿三基 指鉾十三本が還幸祭に氏子町を練り歩くが、指鉾十三本全てが天皇・皇后始め皇族の下賜 後陽成天皇の御車寄付と云うのもある。

 京都の五月 ほぼ毎土・日曜日は どこかで春祭りが挙行されている。祭りの形も刻々時代の影響を受けながらも 連綿と続いてきた これからも続く事だろう。

 

柳居子花徒然

芍薬






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Last updated  2009.05.24 09:12:15
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