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大文字を模した焼き菓子を「大文字焼き」と名乗るのは何等問題は無いのだが、毎年八月十六日の夜 京都の大文字送り火の事を 『大文字焼き』と言われると情けない思いがする。奈良の若草山の山焼きや 方々で行われる秋の火祭とは 全く意味が違うと思うのだ。特に京都生まれ 育ちの人が、何の衒いも無く大文字焼きと言われたり書かれたりすると その家の常の営みの様な事を考えるのだ。
京都の大文字送り火の起源は、幾つもの説が有る。桓武天皇の御世鹿ケ谷の峰に 北辰を祀り 木々を切倒して 其れを焚き、山川の神に捧げる これを「御燈」と言い 大文字の中心地は この御燈の炉の址という説 又 嵯峨天皇の御世 悪疫が流行り 弘法大師は如意嶽に登り 玉体安穏を祷られた。其の記念が何時までも続く様にとはじめられたという説 又 山麓には浄土寺が在った 御一条天皇の時 この寺が火災で全焼したのだが 焼失したと思われたホンゾン弥陀如来像が山上に避難され 毎夜光明を発せられた 仏の偉大さを広めるために大文字を始めたという説 他にも幾つかの起源についての説が有るのだが 何時の頃からか お盆に返ってきた先祖の霊を又送り返す送り火という事に定着した様だ。 田舎では 今でも先祖送りの火を 母屋から道に面した所まで 送り火を点すところが在る。 大勢の人が済む都 京都で各戸が送り火を点すと 火だね沢山 大火になる恐れもあるから 各戸の送り火を 大文字に仮託したのかなと柳居子は考える。 山焼き 火祭は 虫送りの意味が有る 折角実った作物を虫に先取りされないように 松の灯明を隣りの部落との境界まで送るのが目的 先祖の霊を送るのとは本質が違うのだ 大文字焼きを使う人ばかりになると 送り火という言葉も消えるのかなと危惧する。 余談だか 幕末前後 明治になってからかも知れないが 大文字の供奉をする鹿ケ谷のざいしょ一部落全戸が火事になって 今年は点灯のお役は出来ないと嘆いていたら 鳩居堂の直恭さんか其の先代か後継かの主人が 金銭的な事も含めて応援され 伝統が途切れず開かれたと 聞いた事が有る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
私も結婚して京都に来るまでは関東の人間でしたが「大文字焼」には仰け反ります。でも良いんじゃないですか、解っている人が解っていれば。宮沢賢治ですら観光用に「雨ニモマケズ手拭いや暖簾」が売られ、賢治の魂根は?と嘆いたところで仕方がない。大文字送り火も世間に膾炙され、流布されて夫々の解釈で存在していくのでしょう。まこと、この有象無象の世間ではこちらが折れるしかない事ばかりです。
(2023.08.19 07:40:10)
大勢の人が 使うようになると 本来の意味から外れても、広く通用する言葉になります。『有り難う』という謝意を表す言葉は、 本来は 有り難し 有り得ないという言葉で 忝い(かたじけない」という正式の言葉を追いやってしまいました。 そういう類の言葉は沢山有ります。
(2023.08.19 12:28:29)
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