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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年08月01日
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カテゴリ:霊魂論


ルドルフ・シュタイナー
「精神科学と医学」(GA312) 第一講(本文・解説付)解説 第3回
第1講・第3回
 今回からは、翻訳引用部分を読みやすく段落分けすることにしました。原文では、1ページほど段落分けのない場合がしばしばなので、そのまま訳すと読みにくいのを考慮して、適宜そうさせていただきます。そもそもこれは著作ではなく、講演集なので、理解しやすい形にするのが望ましいのではないかとも思ったからです。さて、ヒポクラテスのいう「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」を、「単に化学的反応によって確認できる特性」としてとらえるのが現代の科学的な観点での医学なのだといえるのですけど、そうではなく、そのなかで「黒胆汁」だけがその要素を持つのであって、それ以外のものは「地球の外部からやって来る諸力に浸透されている」というふうに考えられていたということを認識する必要があります。今日の人間が、できる限り科学的に準備してこのようなことに近づくなら、まずもって次のように考えるでしょう、つまり、血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁が混ざり合うというのは、これらに特性として内在しているもの、多かれ少なかれ、低次あるいは高次の化学により特性としての配列を確認できるものに従って混ざり合っているのだと。あたかもヒポクラテス派もこういう方法でのみ血液、粘液その他を見ていたかのような、こういう光のなかで、体液病理学が端を発したと本来思われているのです。しかし、そうではありません。そうではなく、ただ一つの要素、今日の観察者にとって実際最もヒポクラテス的だと思われる黒胆汁についてのみ、通常の化学的特性が他のものに作用すると考えられたのです。他の全てのもの、白胆汁や黄胆汁、粘液、血液に関しては、単に化学的反応によって確認できる特性のことが考えられていたわけではなく、人間の生体組織のこの液体的要素の場合、常に人間の生体組織に限定し、動物の生体組織についてはさし当たり考慮しませんが、これらの液体は、私たち地上的な存在の外部にある諸力の、それぞれの液体に内在する特性を有していると考えられたのです。つまるところ、水、空気、熱が地球外の宇宙の諸力に依存していると考えられたように、人間の生体組織のこれらの要素も地球の外部からやって来る諸力に浸透されていると考えられたのです。「地球の外部からやって来る諸力」という視点は、現代科学ではほとんど失われてしまっています。ですから、15世紀以前の医学的文献を理解することは困難になっているといえます。しかし、古代においては、生体組織内の液体的要素を通じて、宇宙に由来する諸力の作用がもたらされると考えられていたことをここでは理解していく必要があります。このような地球の外部からやって来る諸力への視点は、西洋の科学の発展にともなって全く失われてしまいました。ですから、今日の科学者が、水は単に化学的に検証できるものとして与えられた特性のみではなく、それが人間の生体組織のなかに働きかけることによって、地球外の宇宙に属するものとしての特性も持っているのだと考えることを要求されたなら、彼らにとって、それは全く奇妙なことと思われるでしょう。つまり、人間の生体組織の中にある液体要素を通じて、古代の人々の見解によれば、この生体組織の中へと、宇宙そのものに由来する諸力の作用がもたらされるのです。この、宇宙そのものに由来する諸力の作用こそ、次第にかえりみられなくなったものなのです。とは言え、15世紀までは、医学的思考はまだ、私たちがヒポクラテスにおいて出会う濾過された見解の、いわば残滓の部分に基づいていました。従って、今日の科学者にとって、そもそも15世紀以前の医学的古文献を理解することは困難なのです。なぜなら、当時それを書いた人々の大多数は、自分の書いたものを彼ら自身秩序立てて理解してなどいなかったと言わねばならないからです。「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」といった人間の生体組織の四つの基本要素などはヒポクラテス以降失われてしまった古代の智慧へと遡ることのできるもので、そういう智慧はまだ15世紀頃までは影響を及ぼしていたのです。彼らは、人間の生体組織の四つの基本要素について語りましたが、彼らがこれらの基本要素をあれこれの方法で特徴づけた理由は、本来ヒポクラテスとともに埋没してしまった智慧へと遡るものなのです。こうした智慧がのちに及ぼした作用、人間の生体組織を構成する液体の特性についてはなおも語られていました。従って、ガレノスによって成立し、その後15世紀に至るまで影響をおよぼしたものは、基本的に、次第次第に理解不能になっていった古代の遺産の組み合わせなのです。

記:ガレノスは、ヒポクラテスの医学をはるばるルネサンスにまで伝えた。彼の On the Elements According to Hippocrates は、ヒポクラテスの四体液説を叙述している。四体液説は人体が血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁から成るとする説で、それらは古代の四大元素によって定義付けられ、且つ四季とも対応関係を持つとされた。彼はこの原理を基にして理論を創出した。しかし、それらは純粋に独創的なものというよりも、ヒポクラテスの人体理論の上に構築されたものと見なしうるものである。。古代の医学を集大成し自らも多くの価値ある実験を行い、著作の量も膨大であり医学を系統だてた。彼は実験生理学の創始者ということができ、その学説は正否とも十数世紀にわたって欧州やアラビヤで金科玉条とされた。15世紀以降でも、すべてを化学的物理的に確認しうるものとするような体液病理学と闘った偉大な医学者がいました。パラケルスス(Philippus Aureolus Paracelsus Theophratus Bombastus von Hohenheim/1493-1541)とファン・ヘルモン(トJohann Baptist van Helmont/1577-1644)です。
参考画:ヒポクラテスとガレノス



 しかしながら、まさしくそこに在るものから認識することのできた人々が常に少数存在していました。つまり彼らは、化学的に確認しうるものや物理的に確認しうるもの、すなわち純粋に地上的なものに汲み尽くされない何物かを指摘できることを知っていたのです。人間の生体組織においては、化学的に合成するのとは別な仕方でその中の液体的な実質を作用させる何物かが指摘されうるということを知っていた人々、つまり世に知られた体液病理学と闘った人々の中に、パラケルススとファン・ヘルモントその他の名前を挙げることもできる病理学者がいます。彼らはちょうど15、16世紀から17世紀への変わり目に、言うならば他の人々がもはや明確に表現しなくなったことを、まさしく明確に表現しようと試みることで、医学的思考の中に新たな動向をもたらしたのです。この表現のなかにはしかし、人々がいくらか霊視的であった時にのみ本来追求し得たものが含まれていました。実際のところパラケルススとファン・ヘルモントが霊視的であったことは明らかです。私たちはこうした事柄すべてを明確にしておかねばなりません。さもなければ、今日なお医学用語に定着してはいるけれども、その起源についてはもはや全く知られていないものについて、理解することはできないでしょう。こうしてパラケルススと後に彼の影響を受けた他の人々は、生体組織における作用の基盤としてアルケウス(Archaeus)というものを想定しました。私たちがおおよそ人間のエーテル体について語るように、彼はこのアルケウスを想定したのです。  

記:パラケルスス(Paracelsus)は、ドイツの貴族の出でチューリッヒの近くで1493年に生まれ、長じてフェララで医学をおさめ、その後に欧州の諸地を遍歴して実地医学を身につけた。1527年、バーゼルの教授となり、市医を兼ねたが、ガレヌス、アヴィセンナなどの諸大家の学説に盲従することをはげしく攻撃して、自然の観察と実験にもとづく医学の在り方をとなえた。その言動があまりにも過激だったため大学を追われて諸国をめぐり、診療と著述をなして1541年、ザルツブルグで病没した。彼の医学思想はすこぶる独創にとみ、化学眼をもって生命現象をみて、新陳代謝を論じている。身体を構成するものとして、硫黄、水銀、塩の3つを挙げたが、硫黄は燃えて消え去るもの、水銀は熱により蒸発するもの、塩は火に滅びず灰となって残るものを意味した。人体に内在して生活現象をおこす力をアルケウスとよび、それはヒポクラテスの自然の力よりも、いっそう具体的なものである。たとえば胃のアルケウスは食物の中から有用なものを無用のものから分離して、有用なものを同化するのであり、肺のアルケウスは空気を一種の栄養物として吸収すると考えた。パラケルススは、医学の分野にかぎらず自然科学、神学、哲学などなどを縦横無尽に展開させた、いわばファウストのような人物だと云えますから、上記のような部分的な紹介では紹介しきれるものではありません。このパラケルススについては、ユングの「パラケルスス論」など邦訳でもたくさんの解説書がでています。

 さて、パラケルススのいうアルケウスを、シュタイナーはエーテル体のようなものとしてとらえています。シュタイナーのいうエーテル体は、地上的なものではなく、宇宙的なものです。私たちの物質的な生体組織は地球の組織の一部であるということができますが、その根底には宇宙的なエーテル的組織があると考え、パラケルススはそれを「アルケウス」と名づけたわけです。しかし、それは個別的な形で暗示するにとどまり、さらにそれを研究することはありませんでした。パラケルススのようにアルケウスについて語るなら、私たちがエーテル体について語るようにアルケウスについて語るなら、存在してはいるけれどもその本来の起源については追求されていないものが統一されます。なぜなら、その本来の起源を追求するとなれば、次のような方法をとらざるをえないからです。人間は、地上的なものから作用する諸力から本質的に構成されている物質的な生体組織を有すると言わねばなりません。私たちの物質的な生体組織はいわば地球の組織全体の切り取られた一片です。そして私たちのエーテル体とパラケルススの言うアルケウスは地球には属さない、すなわち宇宙のあらゆる方向から地上的なものへと作用するものの一片です。つまるところパラケルススは、以前はもっぱら人間における宇宙的なものとみなされていてヒポクラテス医学とともに没落したものを、物質的な組織の根底にあるエーテル的組織という彼の見解において統合的に見たわけです。彼は、このアルケウスにおいて本来作用しているものがどのような地上を越えた諸力と関係しているのかに関してはそれ以上は研究しませんでした。なるほど個別的に暗示はしましたが、それ以上は研究しなかったのです。最後に、この「アルケウス」についての理解を深めるために、K.ゴルトアンマー著「パラケルスス」から、それについて書かれているところを引用紹介させていただきます。植物にも、生命の精気(Lebensgeist)は与えられており、「表徴者アルケウス(Archaeus Signator)」がすでに植物の外形に、その本性と治癒力との表徴を刻印している。たとえば、アザミは内蔵の刺痛に効くとされている。「アルケウス」は、世界の大いなる原理の一つなのだ。やはり、アルケウスも宇宙的な生命力であり且つ原動力なのである。それは、自然における秩序原理、もしくはエンテレヒーと解することができる。アルケウスは、「諸力を秩序だてる者」であり、「配置者(dispensator)」であり、アルケウス直属の「職工」が、水銀・硫黄・塩なのである。アルケウスを配置したのは神であり、それはパン職人やブドウ栽培者と同じ働きをする。その仕事は、アタナール(化学炉)内での錬金術的課程に模することができる。ついには大宇宙全体がアルケウスと同一視されることにもなる。とはいえ、アルケウスが一個の個体原理であることに変わりはない。

記:ファン・ヘルモント(ohann Baptist van Helmont/1577-1644)に関することが分かりましたので、補足しておきたいと思います。ヴァン・ヘルモントとも表記され発見に難がありました。。ファン・ヘルモントは化学医学派の首領ともいわれている人で、パラケルススの流れをくむ人物です。ブラッセルに生まれて、まずルーヴァンで哲学を学び、ついで法律に転じてその後に医学をおさめた。二十二歳でドクトルとなり、五年間諸地をめぐって後に郷里で開業した。化学実験をたくさんなしたが、神秘的な考え方もしたので、その点もパラツェルズスと似ている。一六二四年異端の疑いをうけてその裁判が二十年も続き、投獄されたこともある。酵素作用の重要性を認めており、またガスという言葉はこの人の創始といわれている。

第一講(本文・解説付) 解説第3回了

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最終更新日  2024年08月01日 08時51分46秒
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