九州 中津散策 その1
大分県中津市を散策してきました。 まだ、暑い日が続き、観光客にもほとんど出会うこともありませんでした。(笑)まず、中津大神社を参拝神社前の広場の横には、福澤諭吉の「独立自尊」の石碑が立っていました。 手前の池は、中津城主が細川忠興(三斎)の時代に、用水池として作られたという。 こちらは、蓬莱園前のお堀に咲いていた蓮の花 パンフレットでは、美しい写真が載っており、緑茶を楽しみに来たのだが、さすが、この暑さでは、「蓬莱園」を訪れる人もいない為か、開園していたが、誰も居ませんでした。 草も生えるままに、落ち葉もそのままに・・・ 蹲には、水がチョロチョロ流れていましたが 池の中は、ほとんど枯れていました。 草さえ刈れば、見応えある庭に変身するのでしょう。 現状のままをアップしました。 中津城 明治維新の時、城主は9代目の奥平氏となっていた。 左が、奥平神社。 手水場の蓋の上では、黒猫が昼寝していたが、私が近づいたので、起きてしまった。 右側が、黒田孝高(如水)が築いた石垣で、左側が、細川忠興(三斎)が築いた石垣右の方が、しっかりしているように見えるが、左の方が良いものらしい。(説明分より) 新しい城だが、なかなか絵になる城である。 こちらは、福沢諭吉の旧居の復元 旧居の隣には、博物館があり、見慣れたこのお顔の銅像もある。 、「天は人の上に人を作らず」で、始まる「学問のすすめ」が有名で、差別のない人のような印象を受けるが、彼が言っているのは、出自(生まれ)によってではなく、本人の能力、学問、努力により「上人」となれる開かれた社会でなければならないと言っていた。優秀な者(上人)とそうでない者(下人)の差別は当たり前としています。 諭吉の娘達老年の諭吉 身長は、170cmちょっとだったというが、この当時では、両側の人と比較すればわかると思うが、すごい大男だったという。居合いの達人でもあったというし、老年でも、背筋がピッと伸びている。明治に「中津市学校」の門として使われたものが、現在も南部小学校の裏門になっている。以上