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徐にBSで「手塚治虫 創作の秘密」の放送あり。手塚が亡くなる4年前にNHKで放送された番組で、これは当時見た記憶がある。何とも壮絶で、医者で養生していたはずなのに、60歳という若さで亡くなってしまった天才の、今見ると、些か悲壮な記録である。
奥さんしか中には入れないという高田馬場のマンションの仕事場に初めてカメラが入った。手塚の仕事場にしては、ヤケに質素な1室で、カメラはリモートで動かすのだけど、操作するスタッフは別室で張り込んでいたよう。よく、こんなプライヴェートを曝け出す撮影に許可を出したものだと思う。仕事場は手塚プロにも自宅にも近いが、手塚は、基本ここで平日5日間寝泊まりしていたそう。自宅に戻るのは週末だけ。いながらにして単身赴任状態だったわけか。 食事は奥さんが作ったものが運ばれたり店や物だったり。まだコンビニとかが普及してなかった頃の話だ。こういう生活を、あるいは何十年も送ってきたのかも知れない。当然、昼夜関係なし。原稿待ちの編集者は手塚プロの方にいて、こちらも控室に泊まり込んだりといった態勢だ。アシスタントやマネージャーがプロダクションと仕事場を行き来して食事を届けたり、原稿を引き取ったり。まあ、何年かのうちに確立されたスタイルなのだろうけど。 ![]() 今思えば、手塚もさいとうたかをのようなプロダクション制を取ってみるとか、或いは、原作を担当して作画はスタッフに任せるといった手法を取っていれば、あんな風に身を削らせなくても済んだかも知れないと思える。しかし、そういう制作手法は手塚自身が許容しなかったろう、どんなに忙しくあっても。フランスの文化サミットに出席する際は、空港までの車中で数ページ、それでも終わらず、機内でも書いてファクス送付すると、本当に漫画のようなすったもんだぶりだった。 そんな多忙さの中にあってもアニメーション制作への情熱は衰えず、第1回の広島アニメーション・フェスティバルでポール・グリモーらとの交流を楽しんだり。但し、パーティ会場からホテルへ戻って、やはり、原稿を書いていたり。本人曰く、“天国と地獄の往復”と。結構、テレビに出たりファンの前で話したりするのは好きな人で、僕も生の手塚を何度か見たことがある。精力的に活躍していた人ながら、やはり、無理が祟ったか、まだまだ描きたいものがあった志半ばでの逝去だったのではないか。 手塚の早逝は誠にもって残念でならない。僕自身は漫画を読まなくなって久しいけれど、手塚に関しては、いつかその代表作群をしっかり読み込んでみたいと思ってる。漫画というものについては、それで充分だろう。 締切に遅れる手塚は、編集者から表題のように陰口を叩かれていたとのこと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年12月23日 09時22分37秒
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