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私の母方の祖母が亡くなったと訃報が届いた。 その日の朝、6時ころに目が覚めて、そのまま寝れなくなった。 その朝は(こういう表現は本当は使いたくないが)霊的な体験があるわけでもなく、例えばよく私が経験する「振動を始めて、身体を感じなくなり、温感に包まれ、意識も拡大し、一体感に至る」というようなこともなかった。 別の次元で別の存在に会ったという感覚も明確には無かった。 何かおかしな気分だった。 落ち着かないような、でもネガティブというわけでもなく、ある種の爽快感のようなものもあり、わけがわからなかった。 その後、訃報が届いた。 『今朝方、おばあちゃんが亡くなった』と。 「ああ、そういうことだったのか」と思った。 感じてみた限りでは、割とすっと上がったようだ。自分が落ち着くべき次元の場所にもう収まってしまったようだった。 祖母はもう90歳を越えていたから、大往生の方なのだが、痴呆が進みもう何年も専門の施設に入って暮らしていた。 老衰で施設の中でそのまま亡くなったそうだ。 もう私も誰だかわからなくなっていて『あんたはどなたさんですか?』とか、会うたびに毎回言われたりしたのだが「孫、孫」と毎度答えるのも、お定まりの行事になっていた。 施設では結構、人気者だったらしい。 人生全般的にかなり自由に自分勝手に生きた方の人なので、周りに多少の迷惑もあったのだが、まあ、おばあちゃんらしいと言えば、おばあちゃんらしいかと。 叔父(母の弟・祖母の息子で長男)から母に「戒名どんなのにする?」という相談があったそうだ(私は個人的には戒名なんていらないんじゃないという人なのだが)。 それを後で聞いた私が「かなり自由気ままに勝手に生きた人っていうのを戒名にしたらどんな風になるんだ?」と言ったら、母は『そうだ、そうだ』と大笑いしていた。 叔父と母が電話で話していたそうだが、『施設で亡くなってよかったね』と。 おそらく病院に連れて行って入院という事態だと、祖母の今の状態ではパニックになったろうというのが叔父と母の見立てらしい。 痴呆が進んで、誰が誰かもわからず、見知らぬ環境や状況に置かれると、不安で異様におびえる感じだったという。 祖母の中でどんな基準があったのかよくわからないのだが、57歳以降は、翌年に年齢を聞いても「57歳」、その次の年に年齢を聞いても「57」歳、いつ年齢を聞いても「57歳」だったので、当時子供心に変に思っていたが、祖母はずっと自称「57歳」を押し通して生きた。 ので90歳を越えて鬼籍に入ったが、私の中では「自称57歳」の大往生である。 祖母が痴呆になってからかなりの年月が経っている。 そうなる前に最後にもらった電話で、『ええか、真っ正直に生きていたら、お天照さんはちゃんと見ているで、いつかはきちんと報われるで』みたいなことを言っていた。 唐突に脈絡も無く言われたので、うろ覚えな部分もあるのだがそういうことを言われた。 今にして思うとこれは私への祖母からの正式な『遺言』みたいなものだったのかなと思う。 色々なものを思い出し、色々なものを思い出に変え、収まる所に収まり、人は生きていく。 つくづく思うのだが、見えない人だろうが、見える人だろうが、同じ時代を親しく生きた人々は、同じ川の上の船に乗っている。 船は違うかも知れないが、同じ川を下る隣を走る船に、その人は乗り換えただけだ。 人生をこんどは違う船の上から、伴走してくれているだけの話しだ。 どんな人だろうが、どんな存在だろうが、最後の最後の最後にはあの「平安」にたどり着く。 あの「存在」そのものである「平安」こそが、私達が最初の最初の最初に生まれ、最後の最後の最後に帰って行く所。 「生きる」ということそのものが「答え」。 そして世間一般で言う「亡くなった」とは、「生き方を変えた」ということに異ならない。 「亡くなった」とは、「無くなった」ということではないのだ。 そういうことだ。 「生命」は続いていく。 形を変え、生き方を変え、表現の仕方を変えても。 「永遠」に。 「生命」そのものから生まれ、実は「生命」そのものであるのが、私達の究極の正体なのだから。 大丈夫。 私達は生きていく・・・そう・・・大丈夫。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年05月26日 09時50分56秒
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