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「祖母の訃報」の続きのお話しです。 祖母の葬儀に参列して来た。 久しぶりに一同にそろう親類縁者達。 中々見ない顔の方々は、お年を召していたり、あるいは大きくなっていたり、初めて奥様にお会いしたり、始めて会う祖母から見ればひ孫の世代に当たる子供達もいた。 中々長生きの家系なのか、20年ほど前に参列して以来の親族のお葬式となった。 90歳を越える戦争を知る世代の祖母の妹達二人も参列。 時々、赤く目を腫らしたり、涙ぐむ人や場面があっても、全体的に明るく、にぎやかで、健やかな葬儀だったと思う。 背景にあったのは「大往生だったね、おばあちゃん」という感情だった。 皆様、年を取った方々は、それなりの色々な酸いも甘いも噛み締めた人生経験を経て得たものを。 若い方々は、その純粋な感性を。 小さな子供達は率直さとかわいらしさを。 それぞれ持ち寄って、とてもよい感じの葬儀を成していたと思う。 祖母も主役の参加者だ。 最後のお棺を閉じる時、最後に祖母の顔を見たがったのは90歳を越える下の妹だった。 杖をつきながら近寄ってくるその姿を見て察して、お棺のふたを閉じようとする係員を私が「ちょっとだけ待ってください」と言って止めた。 気丈に振舞っていた私の母は、お棺が閉じられた時に始めて泣いた。 祖母の長男である叔父は、最後の皆様への挨拶の時に、あふれ出る思いに震えて声を詰まらせた。 私自身は、火葬場で焼きあがったおばあちゃんのお骨を見た時に、さすがに切なかった。 でもこの葬儀で私がずっと感じていたのは、生者も死者も無い、この世もあの世も境目の無い、ただそこにあるのは絶え間なく続く生命だけ。 思いと感情の旅だけ。 という感覚だった。 ああ、そう、神が神を旅しているのだ。 無限の広さを。 永遠の旅路を。 「ありがとう」。 そう・・・最後に残るのは「ありがとう」という言葉だけ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年06月02日 08時23分29秒
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