テーマ:戦争反対(1189)
カテゴリ:戦争反対
1937年12月当時、南京城内には米国の新聞記者やキリスト教宣教師など複数の外国人がとどまっていました。 米紙シカゴ・デイリー・ニューズのステイ-ル記者は南京攻略を『地獄の4日間』と表現、「何千人もの生命が犠牲となったが、多くは罪のない市民であった」(12月15日付)と伝えています。 ニューヨーク・タイムズも 「日本軍の大量殺害ー中国人死者、一般市民を含む3万3千人)翌年1月9日付)と報道。 英、中国など各国メディアも、惨状を連日伝えました。 強姦も多発しました。 南京の金稜大学教授だった米国人マイナー・ベイツ氏は、現地の日本大使館に繰り返し抗議の書簡を送っています。 「兵士による強姦、暴行と強奪のための悲惨さと恐怖がいたるところで続いています。 すでに7000人以上の貧民(その多くが婦女子)が本学の建物に避難・・ 迅速な対策が必要」(12月18日付、南京事件調査研究会『南京事件資料集』) 虐殺は当時から、事実として世界に知られていたのです。 複数の部隊が万単位の殺害を記録していること、近郊農村での被害記録などから 「少なくても10数万人単位の被害は間違いない」(笠原十九司・都留文科大学教授)とみられています。 事件の存在を否定する論者の多くに共通するのは、都合の悪い証拠に目をつむった上で、「東京裁判が事実を捏造した」と断言する点です。 東京裁判でA級戦犯被告全員の無罪を主張したとして彼らが好んで言及するインドのパル判事は、南京事件について 「残虐行為は日本軍がその占領したある地域の一般民衆、はたまた戦時俘虜にたいし犯したものであるという証拠は、圧倒的である」(『共同研究パル判事書』)と断じています。 「否定論者はいつの世にもいる。ナチスのユダヤ人虐殺に対してさえいるのだから」と笠原氏は語ります。 「それに社会がどの程度影響されるのか。ここにその社会の歴史認識や、道義性の水準が露呈する」 南京から事件を報じたスティール記者は、1987年のインタビューで語っています。 「日本兵の中国での行為が日本人には信じられないというのは分かる気がします。・・・ただ、実際に起きたことであり、その事実から逃れることはできないのです」(『南京事件資料集』) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?id=sikousakugo
この掲示板はフリートーク掲示板です。南京事件の研究が主です、歴史修正主義・否定 論を徹底批判してます。 宜しくお願いします (2005年08月29日 15時30分59秒)
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この掲示板はフリートーク掲示板です。南京事件の研究が主です、歴史修正主義・否定 論を徹底批判してます。 宜しくお願いします (2005年08月29日 15時31分14秒)
畠中秀夫氏が親父(栗原利一)の証言を真逆に曲げた捏造記事のオリジナル原稿のコピーが見つかったので気が乗らないけど捏造部分を指摘しておきました。
この捏造の面白さは共謀共同正犯として防衛庁も絡んでいる点ですね。 http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr ;tree=2658;id=sikousakugo#atop (2006年07月01日 16時25分43秒)
栗原利弘の人生は悲惨だった。
昭和12年の7月に生まれ、親父は9月には出征し、帰って来たのは昭和15年。 傷痍軍人の姿だったので親父には全くなつかず。 疎開先の福島で育てられたため戦争の悲惨なことを知らず。 学生時代にプレスリーやジェームスディーンを知り、夢中になり、ちょっとした経緯から恋人との仲をさかれ親父に精神病院に強制入院させられ、そのうち本当の精神分裂病になり。 うん悪くお袋の父親も既に死んでしまっていて、親父の弟もレイテ戦でなくなり、親父の長兄に対する虐待を止めることのできる人が誰もいなくて。 なんの希望もなく、恋人に捨てられ(結婚した恋人の家の近くまでは発病後も行ったことがあるみたいだった)少しばかしの小遣いをお袋からもらい、近くをウロウロ歩いて、時々警察につかまり保護されていた。 最後に精神病院で窓枠に紐をかけ、首をつって死んでしまった。 桐朋高校卒業、中央大学法学部法律学科卒業の栗原利弘のお話です。 (2006年07月03日 01時43分32秒) |
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