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宮城(きゅうじょう)とは、現在の皇居のことです。遥拝(ようはい)とは、自分の居住地から、宮城のある東京の方角に向かって、拝礼することです。つまりは天皇を拝むことです。
宮城 (現在の皇居) 昭和16年(1941年) に私が入学した商業学校では、毎日の朝礼のとき、東に向かって宮城を遥拝しました。低学年は帽子を脱いで最敬礼。上級生で、1時間目が教練 (きょうれん・軍事教練のこと。中等学校の授業科目のひとつ) のために軍装をしているクラスは、銃に着剣して捧げ銃(ささげつつ)をします。 ある日、宮城遥拝で頭を下げたとき、手に持った帽子を地面に落としました。拾おうとすると、隣の級友が取り上げて返そうとしないので、黙って相手の手首を握りつけて、取り返しました。 頭を上げると、かなり離れたところにいた柔道の教師が、つかつかとやって来て、 「宮城遥拝のときに何をしとるか!!」 と怒鳴るないなや、私も級友もバンバンと顔を叩かれました。柔道六段の手ですから、ずいぶん痛かったですよ。 後で考えてみると、頭を下げたまま、声も出していないのに見つかったのは、この先生、自身は皆と一緒に、宮城遥拝をしてなかったのですね。 昔の中等学校では、教師が生徒の顔を叩くのは日常的なことでした。教練や武道・体操の教師がよく生徒を叩きましたが、教室の授業でも、英語や数学などの教師が、出来の悪い生徒を前へ呼び出して、叩くことがたびたびありました。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 敗戦から数年後に、私を叩いた柔道の教師に電車の中で会いました。でも、往年の迫力は全く見られませんでした。叩かれたことは話しませんでしたが、どこかの学校で、国語を教えていると言ってました。この先生、ほんとに国語が教えられるのかな、と思いましたね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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