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第二次世界大戦で、日本が対米英戦争を始めてから、表のように、連合国首脳が集まった会談が何回もありました。
このうち、昭和18年(1943年)11月22日のカイロ会談、それに続く11月28日のテヘラン会談は、イタリアの降伏を受けて、連合国首脳が、今後の戦争の進め方と戦後処理を取り決めたものです。 カイロ会談の各国首脳(左より、蒋介石・ルーズベルト・チャーチル) 米・英・中の首脳による、エジプトのカイロでの会談の議題は、日本に対するものでした。そして、発表したカイロ宣言の内容は、次のようなものでした。 (1) アメリカ・イギリス・中華民国の3国は、最後まで対日戦争を継続する。 (2) 日本の降服は、無条件降伏とする。 (3) 満州・台湾・澎湖(ほうこ)諸島など、中国から奪った領土を中華民国に返還させる。 (4) 日本が第一次大戦で領有した太平洋の全島を奪還する。 (5) 日本が暴力で占領した全領土を剥奪する。 (6) 朝鮮を独立させる。 このカイロ宣言での、領土に関する取り決めは、昭和20年(1945年)8月の、ポツダム宣言に受け継がれることになります。 カイロ宣言については、日本の新聞でも一面トップで採り上げられました。しかし、その見出しは次ぎのようでした。 「カイロ会談・敵傲慢の決議 戦局破綻を糊塗(こと) 蒋を躍らせ躍起の謀略」 (朝日新聞 昭和18年(1943年)12月2日夕刊) カイロ会談を終えたルーズベルト米大統領とチャーチル英首相は、イランの首都・テヘランに飛び、ソ連のスターリン書記長と会談。その内容は、ヨーロッパの今後について、フランス上陸作戦、ドイツ降伏後の処理、ソ連の対日参戦などでした。 テヘラン会談の各国首脳(左より、スターリン・ルーズベルト・チャーチル) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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