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財閥(ざいばつ)と言うと、庶民とはかけ離れた大金持ちの一族、という印象を持ちますが、単に富豪の一族というだけでなく、資金を出資して多くの企業を作り、それらの企業の株を保有する持株会社を通じて、傘下の企業を支配する一族を指すのだそうです。 旧住友本社(大阪市北浜) 日本では、江戸時代からの三井財閥・住友財閥、明治からの三菱(岩崎家)財閥・安田財閥が四大財閥と呼ばれていました。このほかにも、古川財閥・大倉財閥など、やや規模の小さい財閥もありました。 三井本館(東京都日本橋) GHQ(連合国軍総司令部)は、 「これらの財閥が日本の産業や金融業を独占支配し、政治家と結びついて、 軍国主義を支援し、侵略戦争遂行の経済的基盤となった」 と見なし、占領政策の重要項目として、これら大小15財閥の解体を日本政府に指示しました。 昭和21年(1946年)8月9日、政府内に持株会社整理委員会なるものが発足し、財閥解体が本格的に始められました。 財閥解体の具体的な方策は、次のようなものでした。 〇持株会社の解散。 〇財閥一族の会社役職からの追放。 〇持株会社所有の株券などを安値で買取り、政府が設ける機関に移管する。 〇株券などの買取り代金は、10年間換金できない国債で支払う。 占領軍立会いで、財閥家族所有の株券差し押さえ(出典 Wikipedia) GHQ は、そのうえに、これら財閥の中核となる会社の解体も指令しました。代表的な会社は三井物産と三菱商事でした。 さらに、三菱とか住友といった社名も禁じられました。銀行では、三菱銀行が千代田銀行に、住友銀行が大阪銀行に、安田銀行が富士銀行に、それぞれ名称変更しました。三井銀行は、戦時中に第一銀行と合併して、帝国銀行となっていました。 また、各産業分野で独占,寡占体制にあった会社は、いくつかに分社されました。例えば、 日本製鉄 → 八幡製鉄・富士製鉄 王子製紙 → 苫小牧製紙・本州製紙・十条製紙 三菱重工業 → 東日本重工業・中日本重工業・西日本重工業 などです。 旧岩崎邸(東京都台東区 現・都立庭園) 財閥解体のあと、三菱創業者・岩崎彌太郎の長男で、当時の三菱合資会社社長の岩崎久弥は、 「すっかり裸になった。土佐の郷里の土地と東京の墓地だけが残った」 と、あまりにひどい処置に憤懣(ふんまん)を述べたそうです。解体前の三菱(岩崎家)財閥の総資産は、現在の価値で計算すると、およそ120兆円、と推定されています。 日本政府が、財閥から強制的に安値で買取った株券などは、その後、どのようになったのか、私は知りませんが、たぶん先日の私のブログ財産税の場合と同様に処理されたのだろうと思います。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 昭和26年(1951年)の講和条約締結で、連合国軍の占領が終わってから、財閥系の各銀行は、富士銀行を除いて、再び三井・三菱・住友の名称に戻りました。その後、富士銀行 は みずほ銀行 と名を変え、三井銀行と住友銀行は合併しました。 独占,寡占体制との理由で分社化された各会社も、多くは再び合併して元の社名に戻っています。 静嘉堂文庫美術館(現在) 三菱財閥・岩崎家の資産のうち、国宝7点を含む美術品や古典籍は散逸を免れ、現在、東京・世田谷区の “静嘉堂文庫美術館” に収納展示されています。そのうちの歴史的骨董品 “付藻茄子” については、私のホームページの 野菜こぼれ話・第十六話 に掲載しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
こんにちは!
財閥の事、全然、分かっていませんでした。 チューさんの詳しい説明を読み、自分が、すごい勘違いをしてた事に、気付きました。 財閥解体の話も、知らない分野でした。 勉強になります。 (2011年03月16日 11時15分52秒)
flamenco22さん こんにちは!
そちらは大地震で大変ですね。お見舞い申し上げます。 さて、今日のページ、画像をひとつ入れ忘れましたので、追加して再アップロードしました。 (2011年03月16日 12時48分25秒) |