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2011年10月18日
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昭和37年(1962年)10月22日、アメリカの ケネディ大統領 が、アメリカのすぐ南に位置する キューバ に、ソ連の 核ミサイル が配備されていると発表しました。


       ケネディとフルシチョフ
          アメリカ大統領 ケネディ        ソ連首相 フルシチョフ

このニュースは、アメリカ国民はもとより、自由主義諸国全体を震撼(しんかん)させました。これが米ソ間の戦争となって、互いに核攻撃を行なえば、全世界が破壊されると恐れたのです。

私たちも、戦中戦後の闇から何とか抜け出して、昭和30年代の経済発展でやっと良い暮らしができ始めたのに、ここで 原水爆戦争 が起これば、すべてが無になってしまう・・・と、不安におびえながら、新聞やラジオで成り行きを見つめました。

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キューバ は、昔、スペインの植民地でした。1800年代に中南米諸国が次々に独立を果たすなかで、キューバ は南北アメリカのうちでスペインの最後の植民地でした。

1892年からアメリカの支援を受けて独立戦争が起こり、1898年にアメリカが介入すると、たちまちのうちにスペイン軍を キューバ から追い払いました。世にいう 米西戦争 です。


     米西戦争と秋山真之
               アメリカ軍艦の爆沈               秋山真之

この キューバ での海戦の視察に、「坂の上の雲」の主人公の一人、日本海軍武官の 秋山真之(あきやまさねゆき) が参加し、数年後の日露戦争での旅順港閉塞や日本海海戦の戦術に生かしています。

アメリカ軍は、当時スペイン領だった、フィリピン・グアム島・プエルトリコ をも占領し、米西戦争後に、これらはすべてアメリカ領になりました。

1902年キューバ は独立を達成しましたが、独立にアメリカから多大の援助を受けたため、アメリカの内政干渉権を認めることになり、アメリカの保護国のようになりました。今でも グァンタナモ はアメリカの永久租借地になっています。

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このような事情から、キューバ では、長く親米政権が続いていましたが、昭和34年(1959年)1月に革命が起こり、親米政権を倒しました。権力を握った フィデル・カストロ は、始めアメリカに経済援助を求めましたが、相手にされなかったため、ソ連と接近しました。


              カストロ 
                     フィデル・カストロ議長

昭和37年(1962年)に入って、ソ連は キューバ に 核ミサイル を配備することとし、同年7月からソ連の貨物船が、数多く キューバ の港に出入りするようになりました。

当時は 米ソ冷戦構造 といいながら、核配備では、ソ連はアメリカに対して劣勢でした。アメリカは西ヨーロッパとトルコに 中距離弾道ミサイル基地 を構築して、ソ連を視野に入れていました。

ソ連が キューバミサイル基地 を計画したのは、このアメリカの攻勢に対抗するためでした。

10月14日、アメリカ軍のU2偵察機 がアメリカ本土を射程内とする、数個の ソ連製中距離弾道ミサイル を発見。アメリカ国防総省 は、キューバ の基地への爆撃を主張しました。


         U2偵察機
                     アメリカ軍のU2偵察機



         キューバのミサイル基地
            サン・クリストバルに配置されたソ連のミサイル基地

ケネディ大統領 は、まず海上を封鎖し、ソ連大使を通じてミサイル撤去を求めました。そしてすぐに、テレビでアメリカ国民に発表すると同時に、ソ連との全面戦争に備えて、国内外の ミサイル発射準備 を命じ、日本・トルコ・ヨーロッパに駐留する米軍を臨戦態勢に置きました。


           キューバ封鎖を告げる紙面
                  キューバ海上封鎖を告げる新聞


         空軍参謀総長とケネディ
       カーチス・ルメイ空軍参謀総長(右から2番目)らと会談するケネディ大統領

これに対抗して、ソ連もまた、自国内や キューバ の基地の ミサイルの発射準備 を行ない、アメリカ軍のU2偵察機1機を地対空ミサイルで撃墜しました。このときはだれもが 全面核戦争 必至と感じました。

この一触即発の緊張の一方で、アメリカはソ連に対して、キューバ のミサイル撤去交渉を行ないました。


         ケネディ・グロムイコ会談
      グロムイコ駐米ソ連特命全権大使(右から2番目)らと会談するケネディ大統領

キューバミサイル基地 発見から13日後の10月28日フルシチョフ・ソ連首相 は、モスクワ放送で、キューバミサイル撤去 を発表。アメリカのケネディ大統領 も、キューバ への武力攻撃はしないと言明。

かくして、13日間世界を震撼させた キューバ危機 は、辛うじて回避されました。アメリカは、翌1968年4月に、トルコの ミサイル基地 を撤去しました。

キューバカストロ議長 は、自分の頭越しに行われた大国間の交渉で、アメリカ本土攻撃が中止されたことに激怒したそうです。

フルシチョフ・ソ連首相 の譲歩がなく、キューバ への空爆やアメリカへの ミサイル発射 が行なわれていたら、世界は第三次世界大戦に突入し、 核爆弾放射線 によって、地球上の大半は死の世界になっていたことでしょう。

フルシチョフ がなぜこれほど早く譲歩したのか・・・。核戦争 が世界中を死に至らしめることに配慮したからでしょうか。

その気遣いもあったでしょうが、それよりも、当時の米ソ両国の軍事力、とくに 核兵器 の性能の差が大きく、現状ではソ連に勝ち目がないと判断したからだ、と私は思います。

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この事件から50年近く経った現在もなお、キューバ は社会主義体制を維持していますが、かなりの規制緩和を実施しているようです。

フィデル・カストロ議長 は高齢のため、2008年(平成20年)に引退、弟の ラウル・カストロ が議長となっています。

また、この 核戦争の危機 を何とか収めた米ソ両巨頭は、この1年後、2年後に、悲劇に見舞われることになります。








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最終更新日  2011年10月18日 17時24分49秒
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