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昭和54年(1979年)、 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(原題 Japan As Number One) という本が出版され、世界的ベストセラー となりました。 著者は、アメリカの社会学者・エズラ・ファイヴェル・ヴォーゲル。 ヴォーゲル氏 は、日本 と 中国 を中心に東アジア諸国の研究を続けてきた人物です。 ヴォーゲル氏 「Japan Is Number One」 ではなく 「Japan As Number One」 としたのは何か意味があるのか私には分かりませんが、文字どおり訳せば 「第一位としての日本」 ということでしょう。つまりは このときの 日本が、経済や技術で世界第一位だ というのです。 この著書のなかで、ヴォーゲル氏 は、奇跡的といわれた 戦後日本 の復興 と 高度な経済発展 の要因を分析して、 “日本的経営” を高く評価しています。そして 「その基盤となっているのは、日本人の学習意欲の強さと読書習慣の高さだ」 と述べています。そして、当時の国民の能力について 「日本人の数学力はイスラエルに次いで2位、科学分野で2~3位、情報については7位」 と言っています。また、 「英語力は他の国よりも劣っているが、将来はともかく、今の時点では大きなマイナスではない」 とも語っています。そして、それを補うものとして 「優秀な通商産業省や大蔵省主導の経済への強烈な関与が、さらに日本の競争力を高めている」 と指摘しています。 ヴォーゲル氏 は、この 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」 出版の16年前の 昭和38年(1963年) に、 「Japan’s New Middle Class」(日本の新中間階級-サラリーマンとその家族) という本を書いて、 「この世代が、近未来に 日本 を最先進国に押し上げるだろう」 と予告していました。 「Japan’s New Middle Class」 で書かれた “日本の新中間階級-サラリーマン” とは、今では 後期高齢者 となっている元サラリーマンの世代です。現役のころは “猛烈社員” とか “エコノミック アニマル” などと呼ばれた人たちです。 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」 出版前年の昭和53年(1978年)10月、中国 の実力者となった とう小平(とうしょうへい) が来日。新日鉄君津製鉄所 や トヨタ自動車 の先進施設を視察し、東海道新幹線 にも乗って、日本の躍進振りに眼を見張りました。 とう小平 は、続いて1979年1月に アメリカ を訪問。各地の工業地帯を訪れ、ロケット・航空機・自動車・通信技術産業 を視察しました。 カーター大統領(右)と とう小平(1979年) とう小平 は、日米両国 の先進技術を目の当たりにして、はるかに立ち遅れた 中国 の発展を目指し、政治・軍事は 共産党一党独裁 のまま、経済は 資本主義 を採り入れた、改革開放路線 を強力に押し進める政策を開始しました。 当時の世界は、アメリカ と ソ連 の両大国と、それぞれに組する 東西両陣営 の 対立冷戦時代。対立の始めのころには キューバ危機(2011年10月18日のブログ参照) のようなこともありましたが、その後はかえって不思議な安定感がありました。 このなかで日本は、西側自由主義諸国 の一員として、アメリカ の核の傘に入り、国防費を安上がりにして、当時の国民の勤勉努力により、もっぱら民生機器を開発量産して経済力をたくわえ、ナンバーワン といわれるまでにのし上がりました。 日本 は、このころから数年後までがもっとも良い時代だった、と私は思います。私個人としても、この時は50歳代前半。仕事にも健康にも恵まれて、最高に働き甲斐のある良い時期だった、と昔を振り返っています。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」 の刊行から三十数年。今の 日本 はどうでしょうか ? 中国 は 改革開放路線 を推し進めて経済大国になりましたが、これからどのように進むのでしょうか ? 81歳で今も健在な ヴォーゲル氏 はどう見ているのか、聞いてみたいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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