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テーマ:好きなクラシック(2326)
カテゴリ:音楽
この二人には全く共通点はないのだが、あいついで、大きな存在が亡くなった ということで。
クライバーのことは、きっと数多くの方が書かれるだろうし、書いておられるので、単なる個人的思い出を…(といっても日本で彼を聴く機会は録音含めても限られてるのでそれもきっとダブるだろうが…こんな「現代の」演奏家も珍しい…)。 クライバーは、文字通り「新星のように」現れたのが、もう30年ほど前か。登場の頃をリアルタイムで知るわけではなく、ベートーヴェンの交響曲の2枚が評判になっていた頃に、ちょうどクラシックを聴き始めたので、クライバーの5番は、デフォルトに近い。 当時は、音楽の畳み方や、テンポの動かし方(伸び縮み)よりも、生々しくリズムを刻むウィーンフィルの弦楽器の音質や、各楽器の輪郭がはっきりしていること、颯爽としたテンポが印象的だった。FMのエアチェックだったのだが、ある意味「FM乗り」の良い録音(音質)だったかもしれない。今にして思うと幼い聴き方かもしれないが、彼の演奏で、5番の楽しさを知った気がする。7番も時期にしては5番の次の年位には聴いたのだが、ベーム=ウィーンフィルやカラヤン=ベルリンフィル(どちらもFMライブただしモノラルラジカセ)で曲を大分知ってから、聴いたので、その際立った「演奏の特徴」が5番よりも遥かに鮮明に印象づけられた。リズムとテンポの動きがシンクロしているので、加速・減速の迫力があり、リズムは当然克明、そして古楽器演奏がほぼ無かった時代にあっては、各楽器が対比的に演奏する様もとても新鮮だった。2楽章の末尾がピチカートだったのはビックリしたけど。 (それから遥かに後年、オケで自分がホルンを吹く段階で、この演奏のスゴさ(=強引にドライブしている様でいて、実は、「息」が合理的なので、演奏そのものも細部まで克明)に、改めて気づくのだが。) 実は「カルメン」も初めて見たのがこのクライバー=ウィーン国立歌劇場(NHK教育テレビ…ビデオなんて高嶺の花の時代)で、オペラが始まってからは、曲そのものに魅了されたが、前奏曲が終わっていわゆる「運命の動機」を振るクライバーのカッコ良さは衝撃的だった。今ほど「動画」の無い時代だったので、それが初の「動くクライバー」。考えてみれば「オテロ」もいまだに「映像」で見た事あるのは、彼の来日公演のみ…というわけで(音は大分いろんな人のを聴いたけど)、少なくとも「世紀の巨匠」というだけでなく、彼は、僕にとって「音楽受容」の導き手でもあった。今ほど情報も映像も無かった時代だから、よりそうした性格が出たのだろうが。アバドと振り分けたミラノ・スカラ座の来日公演で、イタリアオペラの魅力に開眼した方も僕らの世代では多いのではないだろうか。 その後、ブラームス4番、シューベルトの3・8番をFMを通して聴き(後年CDで入手したが)、TVでニューイヤーコンサートの映像と音を楽しみ、「こうもり」「椿姫」などのオペラ(録音・販売年代はこれらの方が実は古いが)もCD時代になって楽しんでいる。「椿姫」は、ご存知イタリアオペラの大名曲で、聞かせどころ満載のオペラだが、彼の演奏は、ドイツの歌劇場というせいもあるかもしれないが、イタリアオペラによくあるように、「出発点」と「目標点」を決めて、途中は自由に跳ねるというような演奏流儀ではなく、一旦完全にコントロール下に置いた上で、揃って躍動させるような「ドライブ感のある」演奏なので、イタリアオペラの演奏としては、僕としては意外なのだが、「指揮者」を感じさせる演奏になっている。個人的には構成の明確な交響曲以上に、「指揮者クライバー」の特徴・クセがナマで出ている演奏のようにも思える。人によっては「彼にしては生硬である」との評も聞くので、これらは聴き手によって印象はそれぞれかもしれないが。 彼のナマはもう20年も前に大阪に来たときに、ベートーヴェンの4・7番というプログラムで接する事が出来たが、バチあたりなことに、7番およびアンコールの「こうもり序曲」の印象は鮮烈なのだが、4番は「あっというまに」終わってしまったなあ…という感じだった(これは聴き手の問題なのだとは思うが)。ちなみにCDになっている彼の4番は、ご存知の通り「鬼気迫る」同曲の代表盤であると僕も思っている。 ずっと「若い世代の旗手」的なイメージの彼だったが、壮年期以降、突然のキャンセル事件が何回かあって、登場回数も減ってしまい、「まぼろし」「わがまま(=天才の証左としての=非難の意味でなく)」「変人(=同左)」の存在とされていたのだが、今から考えると、体調が優れなかったのかもしれない。ふと、まだ「エネルギッシュな天才」クライバーがウィーンフィルのニューイヤーに2度目に出演した映像を見た母(特にクラシックに詳しくもなく、クライバーという名も特別意識もしてない)が「この人、身体悪いんとちゃう?」と言ったとき、「あのクライバーがそんな…。棒をあまり振らないのはこの人の流儀やし…」と思ったのだが、その後、実はこの素朴な「実際に見えてるものに対する感想」が正しかったかもなあ…と思ったことも、今日訃報を聞いて併せて思い出した。 「今まで、かけがえのない時をありがとうございます」 と、この場で、氏に言わせてもらいたい。 森嶋通夫氏については、高名な研究者であり、こちらも経済学の研究者の方々が、たくさんのコメントや解説を書いておられ、これまた、僕としては、単なる個人的な思い出を述べるしかないのだが(よく知っている人にはなんということは無い…)、まあ、これも「日記」であり、自分としての思い出を書き留めておきたくなったので、問題は無いだろう。問題提起や論文ではないので…。 氏については、ロンドン大学の現役教授だった最後か直後の頃に日本で講義も少し聞いたことがあるが(その頃はミセス・サッチャーの政経分離主義・独立市場主義を、非現実と批判しまくっていて(ミセス・サッチャー=西郷隆盛説とか)、そのせいで、ノーベル経済学賞がとれなかったと言われてた頃。60歳位だったはずだが、「上品にして、やんちゃ」という感じだった)、 僕が最も氏で、まとまった文章・情報を受け取ったのは、論文ではなく、 独特の視点の経済学通史である「思想としての近代経済学」。NHKで放映され、後に岩波文庫になった。 近代経済の躓き石である「反セイ法則」にも触れており、また高田保馬の「勢力」を導入した経済学も紹介するなど、独自の興味深いまとめになっている。サミュエルソンなどのまとめとは大分違う視点だし、経済学の研究者にとっては、こうした「読み物」よりも、より計量経済での功績を挙げるのだろうが、僕としては、参考になった著作であった。 多くの公共事業や「事業制度」そのものが、この「反セイ法則」のワナにかかり続けていることを思うと、氏の指摘は(経済学からすれば当然のはずだろうが)正鵠を得たものであった。 戦後のマルクス経済学者からは「反動」として追い出され、自らもマルクス経済学「派」とは真っ向から対立し、 セイ法則の影響下にある新古典派経済学者を根本理論で批判し、政治的な言動では、保守派の陣営からは「革新派」と見なされ、ロンドン大学の名誉教授になってからも、サッチャリズムの破綻を予言し主張していた。この「経済ブロック」の考え方から、アジアにおける日本の孤立を危惧していたのも、左翼右翼というよりも、EUに終始消極的であったイギリスでの思いが下敷きになっていたのだろうと思うし、また、歴史の流れを見ての発言だったろうと思う。 最近の一部の若者に流行っている 「戦争・軍備を否定するヤツは、皆”自然に仲良くなれると信じてる”だけのヤツで、アカ」的決め付け論から行けば、氏は「アカ」にされてしまうのだろうと思うと、 氏が、戦後、マルクス経済学派に追い出されたパターンと酷似しており、大いなる皮肉を感じる。 「学問・理論」は「意見・主張」から、価値独立でなければならない、との立場を厳格に貫きながら、その相互の情熱については、生き方として重視する、 そして、それらの判断基準を、研究を通して、見出し、証明し、提示する、そういった生き方をされた方のように思う。 彼は、決して、僕の師匠でもなんでもないし、政治や教育に対する仮説と主張は、やや「やんちゃ」なところもあるような気もするが(高名な理論経済学者にしては)、 「色分け」の犠牲者として日本を離れ、 まさに、自らの力と意思で、理論を構築し、 「色分け」を否定しつつ、「言いたいことは言う」と言い、 そのリスクは一身に受ける…という生き方は、 独特の「心意気」に満ちたものとはいえるかもしれない。 亡くなられて、改めて、情熱を持ちながらも、冷静で理論的な考察 の大切さと、氏の「やんちゃさ」「人なつっこさ」を感じさせる「面構え」を思い出す。 (注:決して、個人的知己を得ていたとかではないので、あしからず。その点は、クライバーも同様。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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