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リビアの内戦はイギリスとフランスを主導する形で勝利を手中に収めた反ムアンマル・アル・カダフィ派を「解放軍」と呼ぶことはできない。大きな問題をはらんでいる。さまざまな勢力の寄り合い所帯だということもあるが、その中心にアル・カイダ系の武装集団、LIFG(リビア・イスラム戦闘団)が存在していることも大きい。
すでに「親リビア軍」が武器を各地のイスラム武装勢力へ横流ししている疑いも指摘され、アフガニスタンやイラク、あるいはシリアでの戦闘が激しくなる可能性も出てきた。この点をアメリカ政府は懸念しているようだ。 反カダフィ軍はサハラ以南のアフリカ人を敵視している。肌の色が黒いというだけで拘束、行方不明になっている人が少なくないようだ。黒人の大半は労働者だと言われているが、傭兵だとしても暴力的な扱いは許されていない。また、数百の死体を反カダフィ軍は親カダフィ派の墓地へ投げ込んでいるとも言われ、処刑も疑われている。 今後、リビアでは放射線障害が問題になってくる可能性もある。リビアの内戦でNATO軍は劣化ウラン弾を使用したと指摘されているのだ。アメリカのシンクタンク「FPIF」のコン・ハリナンやイギリスの反核活動家、ケイト・ハドソンも指摘している。 カダフィ政権はサハラ砂漠以南のアフリカを自立させようとしていた。リビアの石油利権だけでなく、アフリカ中南部の資源利権がイギリスやフランスを動かした大きな理由だと考えざるをえない。アフリカに中国やロシアが食い込んできたことも「西側」にとっては脅威だったはずで、カダフィ排除は急を要したのだが、6月頃まで反政府軍は1000名ほどの規模にすぎず、傭兵を使うしかなかったようだ。 反カダフィ軍には参加した傭兵はカタールやアラブ首長国連邦などで雇われたり、チュニジアの失業者やカダフィ体制に不満を持っていたリビア人が集められた。コロンビアで「死の部隊」に所属していた人物も含まれていると言われている。 傭兵はイギリスが中心になって編成されたようだが、当初はフランスと関係の深い人物が司令官を務めていた。リビアで儀典局長を務めていたノウリ・メスマリのフランス亡命が内乱の始まりだということを考えると不思議ではない。 この司令官とはリビアの元内相、アブデル・ファター・ユニスなのだが、7月に暗殺されている。その直前、暫定国民評議会の内部で解任劇があり、ユニスも粛清されていた。暗殺したのはムスリム同胞団だといわれているが、この組織は創設時からイギリスと深い関係にあることは本ブログで何度か書いた通りだ。 ユニスが粛清されるころからイギリスはトリポリ攻略作戦の準備を開始、数週間をかけて武器、通信機器、そして精鋭部隊をトリポリに送り込んだ。首都攻撃作戦も最終的にはMI6(イギリスの情報機関)が作り上げ、さまざまなアドバイスをしていたという。 内戦のクライマックス、首都トリポリの攻略ではイギリス空軍が精密誘導爆弾のペイブウェイ IVやトルネードGR4戦闘機でカダフィ軍を攻撃、通信系統も破壊している。またメディアを使って偽情報を流し、リビア国民だけでなく世界の人びとを混乱させようとしていた。 そのトリポリで反カダフィ軍は住民から歓迎されていないようだ。市内では今でも銃声が聞こえ、重火器を搭載した車両が走り回っている。カダフィ体制の崩壊で住民は解放感を味わっているようだが、数百名の武装した兵士が市内にいることにうんざりしはじめているともいう。そうした感情が怒りに変わる日は、そう遠くないだろう。新政府が成立するまでの数カ月かかるというが、そんなことは言っていられないはずだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.10.01 03:03:52
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