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シリアではジャーナリストや国連が反政府軍のターゲットになっている。イラク戦争を彷彿とさせる事態だ。
これまで反政府軍はシリアの放送局を襲撃してスタッフを殺害してきたが、それだけでなく、外国のメディアも狙っている。例えばイギリスのテレビ局、チャンネル4のアレックス・トンプソンによると、彼の取材チームは反政府軍の罠にはまり、危うく政府軍から射殺されるところだった。ホムスで取材していたそのチームを反政府軍の兵士は交戦地帯へと導き、政府軍に銃撃させるように仕向けたというのだ。 また、8月15日には国連シリア監視団が使っているダマ・ロゼ・ホテルの近くで爆発があった。国連に対する脅しだと見る人もいるが、国連はこの破壊行為を非難していないようだ。 監視団はNATOと敵対関係にあるとは思えず、レバノンのアッディヤール紙によると、ロベルト・ムード准将はアメリカ政府のためにスパイ活動をしていると、ヨルダン人の監視団メンバーがは匿名で語ったという。そうした噂の監視団も今後の作戦にとっては邪魔になってきたということかもしれない。また、アメリカ政府がシリアの反政府軍への支援を強化することを決めたと報じられた直後、コフィ・アナンも和平工作から手を引いた。 こうした展開はイラク戦争と似ている。 2003年3月にアメリカ軍を中心とする軍隊が国連を無視する形でイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒した。侵攻軍の構成はアメリカ軍が14万8000名、イギリス軍が4万5000名、オーストラリア軍が2000名、ポーランド軍が194名。そのほか反体制派や分離独立派も参加しているようだ。 圧倒的な軍事力でフセイン体制を倒すことは容易だったが、予想されていたように、それから泥沼化していく。新体制をアメリカ、あるいはアングロサクソンにとって都合良く作り替えることは容易でなかったということだが、アメリカの内部にはイラクで混乱が続くことを願っていた勢力も存在していた可能性が高い。 その目的はともかく、アメリカのネオコン(親イスラエル派)はソ連が消滅する1991年の頃には、旧ソ連圏の国々、シリア、イラン、イラクを掃除するビジョンを持っていたようだ。欧州連合軍の最高司令官を務めた経験のあるウェズリー・クラーク米陸軍大将がそのように語っている。 この計画が実行に移される切っ掛けは2001年9月11日の出来事。この日、ニューヨークの世界貿易センターにあった超高層ビル2棟に航空機が突入、ペンタゴンが攻撃されたのである。事件の直後にアメリカ政府はアル・カイダの犯行だと断定する。 このアル・カイダは1970年代の終わりから1980年代にかけてアメリカの情報機関や軍が作り上げたスンニ派の武装集団の一部で、イラク、シリア、リビアなどでは徹底的に弾圧されていた。逆に、密接な関係にあった国がスンニ派の支配するサウジアラビア。 クラーク大将によると、9/11から10日目の時点でアメリカ政府はイラク攻撃を決定、その数週間後にはイラクだけでなく、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが攻撃予定国に名を連ねていたという。9/11の報復でないことは明らかだ。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、2007年にニューヨーカー誌でアメリカがサウジアラビアなどと手を組み、シリアやイランを攻撃する秘密工作を始めたと警告している。 イラクへ軍事侵攻する際、ベトナム戦争での反省だろうが、アメリカ軍は情報操作を徹底しようとした。そこで記者を軍隊の中に「埋め込む」という方式。自由に取材させず、軍にとって都合の良い情報だけを発信させようとしたわけである。 しかし、それでも独自に取材しようというジャーナリストはいる。そうした中、記者の宿泊場所になっていたパレスチナ・ホテルをアメリカ軍の戦車が砲撃する。2003年4月のことだ。その後もジャーナリストがアメリカ軍によって殺されている。 その4カ月後、8月には国連支援ミッションが拠点にしていたカナル・ホテルが攻撃されて22名以上が死亡、犠牲者の中には国連事務総長特別代表だったセルジオ・ビエイラ・デメロも含まれていた。アル・カイダ系の武装グループが実行したとされている。その翌月にもミッションは攻撃され、国連のスタッフはイラクから引き上げることになった。 要するに、ジャーナリストや国連の目を嫌がる勢力が存在するということだろう。そうした勢力とは、アメリカ軍とアル・カイダと考えるの自然だ。同じようなことがシリアでも起こっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.08.18 23:24:40
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