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《櫻井ジャーナル》

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2015.02.08
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 今から1年前、2014年2月23日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領が解任された。合法的に選ばれた大統領を憲法の規定を無視する形で暴力的に追放したのだ。アメリカ/NATOがネオ・ナチを暴力装置として使ったクーデター。背景は安倍晋三政権と同じであり、日本で起こっていることはウクライナ情勢と深く結びついている。

 このクーデターを西側では政府や有力メディアが支持してきた。日本の場合、日頃は「護憲」という看板を掲げている「リベラル派」や「左翼」も同調している。ダブル・スタンダード。いや、自国でもクーデターに賛成なのか・・・

 ウクライナ憲法の第111条によると、「ウクライナ大統領が国家反逆罪又はその他罪を犯した場合、ウクライナ大統領は弾劾により解任される」ことを認めているが、そのためには「ウクライナ最高議会の憲法に定める定数の過半数の議員の発案により審議される」ことを求めている。

 そして、「調査を実行するためにウクライナ最高議会は特別弁護士及び特別調査官を含む特別臨時調査委員会を設立」し、「特別臨時調査委員会の結論及び提案はウクライナ最高議会で審議される。」

 そのうえで、「ウクライナ最高議会の憲法に定める定数の3分の2以上の賛成によりウクライナ大統領に対する告訴を決議できる」のだが、「解任は、ウクライナ憲法裁判所の判決及び弾劾に関する調査・考察を行った憲法弁護士の意見、ウクライナ大統領が告訴されている国家反逆罪又はその他犯罪に関するウクライナ最高裁判所の意見を考慮した上で、ウクライナ最高議会が憲法に定めた定数の4分の3以上の賛成で採択できる」ことになっているが、勿論、ヤヌコビッチ大統領の解任でこうしたプロセスは経ていない。

 「非常事態」だからという主張も成立しない。第157条よると、「人権、市民権および自由を廃止又は制限する、又はウクライナの独立を廃止又はウクライナの領土の不可分性を冒涜するようなウクライナ憲法の改正は禁ず。戒厳令下又は国の非常事態下でのウクライナ憲法の改正はできない。」

 こうした条文を含む憲法を変えるための手続きは第156条で定められているのだが、それによると、「基本条理」、「選挙、国民投票」、そして「ウクライナ憲法改正手順」を除くウクライナ憲法改正案は、「ウクライナ大統領又はウクライナ最高議会の憲法に定める定数の3分の2以上の国会議員により、ウクライナ最高議会に提出され、ウクライナ最高議会の憲法に定める定数の3分の2以上の賛成で採択され、ウクライナ大統領の指揮する国民投票で承認される。」ことになっていて、「ウクライナ憲法改正案の同一内容での再審議は、次のウクライナ最高議会本会議においてのみ可能である。」と定めている。

 ヤヌコビッチ大統領の解任が憲法を無視、暴力を前面に出したクーデターだったことは明白だが、これを日本の「護憲派」は容認しているのだ。その後、ヤヌコビッチを支持していた東/南部でクーデター派が虐殺を始めたのは必然だった。昨年5月以降、オデッサからはじまり、ドンバス、ルガンスクなどで民族浄化が展開され、多くの住民が殺されている。(例えば、ココココ

 このクーデターは2013年11月21日にユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で約2000名の反ヤヌコビッチ派が集まったところから始まる。当初は人びとのEUへの憧れを刺激する「カーニバル」的な雰囲気の集まりで、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。

 そうした動きを背景にして、アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補は12月13日に米国ウクライナ基金の大会で演説、ソ連が消滅した1991年からウクライナへ50億ドルを投入したと発言している。その際、彼女の背後には巨大石油企業シェブロンのマークが飾られていた。ちなみに、ヌランドが結婚した相手はネオコン/シオニストの大物、ロバート・ケーガンだ。

 多くの人が集まり始めるとネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が前面に出始め、抗議活動は暴力的になる。暴力的にヤヌコビッチ政権を倒すのはアメリカ側の意向だったようで、話し合いを指向するEUをヌランド次官補は気に入らない。そこで、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という言葉を口にした。

 この発言は何者かが盗聴、2月4日にインターネット上へアップロードされて発覚した。その音声はヌランドとジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使との電話会談。ふたりは「次期政権」の閣僚人事について話し合っているのだが、ヌランドが高く評価していた、つまりアメリカの傀儡として最適の人物だと推していたのはアルセニー・ヤツェニュク。クーデター後に首相となった人物だ。

 広場ではネオ・ナチのメンバーが棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始める。2月中旬には2500丁以上の銃をネオ・ナチは持ち、狙撃も始まった。

 それでもヤヌコビッチ大統領と反政府派の代表は一旦、平和協定の調印にこぎ着けるのだが、その直後に狙撃は激しくなり、「西側」の政府やメディアはヤヌコビッチ側が黒幕だと宣伝。そして23日の憲法を無視した解任につながる。

 その2日後にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は反ヤヌコビッチ派で医師団のリーダー格だったオルガ・ボルゴメツなどから聞き取り調査をする。その結果を26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告したのだが、それによるとスナイパーは反ヤヌコビッチ派の中にいるというものだった。

 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としたうえで、「新連合はもはや信用できない」としている。それに対し、アシュトンは「議会を機能させなければならない」と応じた。つまり、事実を隠して嘘を突き通せということだ。

 クーデター直後、2月24日に治安機関SBUの長官に就任したバレンティン・ナリバイチェンコは狙撃にロシアの治安機関FSBが関与していると主張しているが、これは他の証言や事実と符合しない。

 その直前まで長官だったアレクサンドル・ヤキメンコによると、狙撃を指揮していたのはアンドレイ・パルビー。1991年にオレフ・チャフニボクとネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」を創設、クーデター後に国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任している。抗議活動中、広場への出入りはパルビーの許可が必要で、この人物はアメリカの特殊部隊とも接触していたと伝えられている。

 昨年2月にヤヌコビッチ大統領を追放したクーデターを指揮していたのがアメリカ支配層だということは明白になっているが、その計画を広場で抗議活動が始まる前、議会でクーデター計画の存在を指摘していた議員がいる。地域党のオレグ・ツァロフだ。クーデター後の4月に地域党を除名され、本人もネオ・ナチに襲撃されてきた。ウクライナの西部は第2次世界大戦の当時からナチスの影響を強く受けていたが、これからの世代にも思想を受け継がせるため、若年者に対する教育も続けられている。





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最終更新日  2015.02.09 16:25:19



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