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《櫻井ジャーナル》

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2015.04.15
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 関西電力高浜原発の3号機と4号機の再稼働を禁じる仮処分決定を福井地裁が出したという。原発再稼働の可否を決める新規制基準が「穏やかにすぎ、合理性に欠く」ことは広く知られていることだが、その常識に基づく決定を裁判所が出したことに少なからぬ人が驚いている。それが日本の現状。この決定が出る前、外国で東電福島第一原発の現状に関する厳しい内容の報道が出ていたが、そういうことを隠しきれなくなったのか、何らかの深刻な事態が判明した、あるいは生じたと考えるのはうがちすぎだろうか?

 例えば、イギリスのタイムズ紙が福島第一原発に関し、廃炉まで200年はかかるという話を伝えていた。その中で2051年までに廃炉させることは、飛躍的な技術の進歩がない限り、不可能かもしれないという同発電所の小野明所長のコメントを紹介している。勿論、台風や地震などで原発が倒壊しなければ、の話だが。

 また、東電は放射能レベルに関する全てのデータを公表する意向を示しはじめたというが、事故直後から政府や東電は情報を隠し、嘘をつき、そうした偽情報をマスコミは垂れ流し、その一方で事実に迫ろうとする人びとは攻撃されてきた。特定秘密保護法も情報の隠蔽に利用されているだろうが、それでも隠しきれない事態になっている可能性がある。

 日本は「商業用原発」を運転しているだけでなく、核兵器の開発も続けてきたと見る人は世界的に少なくない。原発を中心とした巨大な利権構造が日本の核政策を推進させる大きな要因であることは事実だが、それだけで動いているわけではなく、核兵器の開発を抜きに語ることはできない。

 日本が最初の核兵器の開発を行ったのは1940年代の前半、第2次世界大戦で敗れるまでのこと。理化学研究所の仁科芳雄を中心とする「ニ号研究」には東京帝大、大阪帝大、東北帝大の研究者が集まり、海軍は京都帝大と「F研究」を進めていた。

 最初の開発計画が終了した20年後、1965年1月に佐藤栄作首相はアメリカを訪問してリンドン・ジョンソン大統領に会い、アメリカが核攻撃に対する日本の安全を保障しないなら、日本は核兵器システムを開発すると伝えたとされている。

 この日米首脳会談でジョンソンは佐藤に対して思いとどまるように説得したというが、核兵器開発は動き始める。1967年には「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」が設立され、69年になると政府内で核武装を本格的に話し合い、西ドイツ政府と秘密協議をしている。西ドイツとの協議に参加した日本側のメンバーは、外務省の鈴木孝国際資材部長、岡崎久彦分析課長、村田良平調査課長だった。

 このとき、西ドイツは日本に同調しなかったというが、その一方で1961年からイスラエルの核兵器開発に必要な資金の一部を提供しているとする情報がある。1960年3月に西ドイツのコンラッド・アデナウアー首相がニューヨークでダビッド・ベングリオン首相と会談したところから始まる。そこで、核開発のため、10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することになったという。

 しかし、イスラエルの核兵器開発で最大の資金提供者はエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドだとされている。その祖父にあたるエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドは1882年にユダヤ教徒のパレスチナ入植に資金を提供した人物。もっとも、大半のユダヤ教徒は住み慣れた土地を離れてパレスチナへ移住する意思はなく、この移住計画はロスチャイルド側の事情から出た話だろう。

 イスラエルの核兵器開発をフランスが支援していたことも広く知られているが、その背後にはフランス在住のエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドがいたということ。西側の場合、表の権力者と真の支配者は一致しない。

 1956年にシモン・ペレスがフランスでシャルル・ド・ゴールと会談、フランスは24メガワットの原子炉を提供している。イスラエルの科学者は1960年2月、サハラ砂漠で行われたフランスの核実験に参加、その直後にはイスラエル自身が長崎に落とされた原爆と同程度の核兵器を所有している。西ドイツが資金を提供し始めた頃だ。1963年にはイスラエルとフランス、共同の核実験が南西太平洋、ニュー・カレドニア島沖で実施された。

 日本における核武装に関する調査は内閣調査室の主幹だった志垣民郎を中心にして行われ、調査項目には核爆弾製造、核分裂性物質製造、ロケット技術開発、誘導装置開発などが含まれていた。技術的には容易に実現できるという結論に達している。日本原子力発電所の東海発電所でプルトニウムを生産することになる。志垣らの調査では、高純度のプルトニウムを1年に100キログラム余りは作れると見積もっていた。

 また、1969年から71年まで海上自衛隊幕僚長を務めた内田一臣は毎日新聞の取材に対し、「日本の防衛のために核兵器がぜひ必要だと思って、それなりの研究も(個人的に)していた」と語ったという。

 その後、ジミー・カーター政権(1977年から81年)は日本の核兵器開発にブレーキをかけたが、ロナルド・レーガンが大統領になると状況は一変して協力し始める。ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、アメリカで核兵器用のプルトニウムを量産してきたサバンナ・リバー・サイトにあるプルトニウム分離装置からプルトニウムをアルゴンヌ国立研究所経由で日本にあるRETF(リサイクル機器試験施設)へ送られたという。このRETFはプルトニウムを分離/抽出するための特殊再処理工場だ。

 また、1971年から81年までSIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の所長だったフランク・バーナビーは、イギリスのセラフィールドで生産され、日本へ輸送されたプルトニウムは核兵器レベルの高純度だと語っているようだ。この話が正確なら、イギリスはアメリカと同様、日本の核武装に協力していることになる。

 アメリカのバラク・オバマ政権はウクライナに対する軍事支援では一致しているが、中東/北アフリカの政策では対立が生じているようだ。日本の核兵器問題に対しても、アメリカ支配層には推進派だけでなく、懸念する声はある。CIAなど情報機関にもそうしたグループは存在、監視を続けてきた。福島第一原発の事故後、日本政府が外部の人による調査を強く拒み、協力を拒否したことに疑惑の目を向ける人が少なくなかったのは、そうした事情があるからだ。日本の核兵器開発に批判的な人の声が強まると、日本の核政策も変更せざるをえなくなるだろう。





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最終更新日  2015.04.15 20:28:16



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