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《櫻井ジャーナル》

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2015.08.31
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 国会議事堂の周辺に多くの人が8月30日に集まった。安倍晋三政権が成立を目指している「安全保障関連法案」に反対する人びとで、主催者によると参加者数は12万人。圧力を感じて警察は車道を「開放」せざるをえなかったようだが、それでも発表の数字をできるだけ小さく見せたかったらしく、「警察関係者」は「国会周辺だけで」という限定付きで約3万3000人だとしている。官僚的な小賢しさを感じるが、3万人台に押さえろと言われていたのかもしれない。

 これだけの抗議活動が行われる程度の健全性が日本には残っていることを示していると言えるだろうが、「この期に及んで」とも言える。日本の支配層はアメリカの支配層の命令に従って政策を打ち出しているわけで、「安保関連法案」もアメリカの戦略が生み出したもの。その戦略は、本ブログで何度も書いているように、1992年の初めに作成された「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。つまり、23年前に日本人も反応しなければならなかった。このドクトリンはソ連の消滅と深く関係している。

 1985年にソ連書記長となったミハイル・ゴルバチョフは「牧歌的親欧米派」で、1990年に東西ドイツが統一される際、東へNATOを拡大させることはないとするジェームズ・ベーカー米国務長官の約束を信じた。このときのソ連外相は外交の素人だったエドゥアルド・シュワルナゼ。

 1991年3月にロシアと8つの共和国(人口はソ連全体の93%)で行われた国民投票によると、76.4%がソ連の存続を望んでいた(Stephen F. Cohen, “Soviet Fates and Lost Alternatives,” Columbia University Press, 2009)のだが、同年7月にロシア大統領になったボリス・エリツィンはソ連解体を目論み、12月にウクライナのレオニード・クラフチュクやベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチとベロベーシの森で秘密会議を開いてソ連からの離脱を決めた。この時、クラフチュクとシュシケビッチは状況を把握できていなかったとも言われている。

 エリツィンは一種のクーデターを実行したわけだが、その原因は1991年7月にロンドンで開かれたG7の首脳会談にある可能性が高い。エリツィンがロシア大統領になるのとほぼ同じ頃に開催されたこの会談で西側の首脳はゴルバチョフに対して巨大資本にとって都合の良いショック療法的な経済政策を強要、これにゴルバチョフは難色を示したのだ。その瞬間にゴルバチョフの排除は決まり、エリツィンのクーデターへつながった可能性が高い。

 ソ連消滅を受け、1992年初頭にネオコン/シオニストを中心とするアメリカの好戦派は新たな世界制覇戦略を作成する。アメリカが「唯一の超大国」になったと考え、潜在的ライバルを潰そうとしたのである。その戦略は国防総省で作成されたDPGの草案としてまとめられ、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。このドクトリンはアメリカ支配層の内部でも危険視されたようで、ニューヨーク・タイムズ紙などでも報道された。アメリカへ特派員を送り込んでいる日本のマスコミも当然、この危険なドクトリンは知っているはずであり、「安保関連法案」の議論でも取り上げねばならない。

 潜在的ライバルには旧ソ連圏だけでなく西ヨーロッパや東アジアが含まれ、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアも支配するとしている。西南アジアはイスラエルの戦略とも密接に関係しているが、アメリカの「イスラエル第一派」であるネオコンは1980年代からイラクのサダム・フセイン体制打倒を主張していた。

 そのドクトリンをベースにしてネオコン系シンクタンクPNACが作成、2000年に公表した報告書が「米国防の再構築」で、ジョージ・W・ブッシュ政権はその報告書に基づく政策を打ち出していく。バラク・オバマ政権もこの戦略に基づいて動いている。

 ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はドクトリンを作成する前、1991年にシリア、イラン、イラクを5年から10年で殲滅すると口にしていたという。これは欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の元最高司令官、ウェズリー・クラークの話。その年の1月にアメリカ軍がイギリス軍などを引き連れてイラクを攻撃したのだが、その際にジョージ・H・W・ブッシュ政権はフセイン体制を倒さずに停戦、ネオコンは怒って殲滅発言につながったわけだ。

 1992年9月にはプリンストン大学の教授だったバーナード・ルイスが中東のレバノン化、つまり混乱した状態になることを暗示しているが、この人物はかつてイギリスの情報機関に所属したことがあり、イスラエルの好戦派を支持していることでも知られている。

 アメリカ国防総省のONA(ネット評価室)で室長を務め、「ヨーダ」とも呼ばれているアンドリュー・マーシャルもルイスの弟子。ウォルフォウィッツ・ドクトリンを作成する際に助言した人物でもある。ズビグネフ・ブレジンスキーは「危機の弧」という概念を使ってソ連の脅威を煽っていたが、これもルイスのアイデア。

 ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを殲滅すると発言した10年後にニューヨークの世界貿易センター、そしてワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺は、イラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃すると決めていたともクラークは話している。

 日本では1994年に「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」が出されるが、これに満足できないマイケル・グリーンとパトリック・クローニンがカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、1995年の「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を作成する。これもウォルフォウィッツ・ドクトリンがベースになっていると見るべきだろう。

 1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、99年には「周辺事態法」が成立、2000年にはナイとリチャード・アーミテージを中心とするグループが作成した「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」、「9/11」をはさみ、2002年に小泉純一郎政権が「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案を国会に提出、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明、05年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大し、12年には、またアーミテージとナイが報告書を発表、そして「安保関連法案」につながる。

 こうした動きに警鐘を鳴らす学者やジャーナリストは日本にもいたが、大半の学者、大手マスコミはそうした声を無視、多くの国民は事態の深刻さに気づかなかった。ウォルフォウィッツ・ドクトリンから23年の間、「専門家」たちは静観してきたのだ。同じドクトリンに基づいて行われている中東、北アフリカ、ユーゴスラビア、ウクライナの戦争の事実からも彼らは目を背けてきた。アメリカ批判を避けようとしているとしか思えない。

 そうした戦闘でアメリカの好戦派はNATOを使うだけでなく、イスラエル、サウジアラビア、トルコなどと手を組み、「イスラム武装勢力」を編成して戦乱を演出してきた。アル・カイダやIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ダーイシュなどとも表記)とはそうした武装勢力だ。

 アメリカはそうした戦争へ日本を引き込もうとしている。そのアメリカから最後の詰めを任された安倍首相が「王手」をかけた後、学者やマスコミは動き始めた。この段階では詰めを間違えるのを期待するしかなく、国民としては死に物狂いで抵抗するほかない。安倍が詰めに失敗すれば、「偽旗作戦」が行われる可能性もあるが、それに対する心構えも必要だ。






最終更新日  2015.09.01 04:48:46



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