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インドとパキスタンとの間で軍事的な緊張が一気に高まり、核戦争が懸念される事態になった。パキスタン政府は2月27日、2機のインド軍戦闘機をカシミール上空で撃墜してパイロットを拘束したと発表、同じ日にインド政府はパキスタンの戦闘機1機を撃ち落としたとしている。 中国とインドとの間で軍事的な緊張が高まった直後、つまり6月27日にインドのナレンドラ・モディ首相はワシントンでドナルド・トランプ大統領と会談、7月7日にはイスラエルでベンヤミン・ネタニヤフ首相と会っている。モディはイスラエルと緊密な関係にあると言われている。 アメリカはイギリスと同じようにユーラシア大陸の沿岸地域を制圧して内陸部を締め上げていくという長期戦略を持っている。ハルフォード・マッキンダーのハートランド理論はそれをまとめたもの。 この理論によると、世界を制覇するためにはロシアを支配しなければならない。ロシアには耕作地が広がり、19世紀には領内で油田が発見された資源国であり、国民の教育水準も高いためだという。 ユーラシア大陸の沿岸地域とは、西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」、そしてその外側の「外部三日月帯」を想定している。その西の果てがイギリス、東の果てが日本だ。 前にも書いたように、イギリスが長州と薩摩を支援して徳川体制を倒そうとしたのは大陸を侵略する拠点作りと地上部隊の編成。イギリスの支配層は日本人を傭兵にしようとしたのだ。 そうしたイギリス支配層の一端を担っていた麻薬業者のジャーディン・マジソンが日本へ送り込んできたのがトーマス・グラバー(長崎)とウィリアム・ケズウィック(横浜)。ケズウィックの父はジャーディン・マジソンで働いていたが、母方の祖母は同社を創設したひとりであるウィリアム・ジャーディンの姉にあたる。 1859年にイギリスの駐日総領事は長州から5名の若者をイギリスへ留学させることを決め、63年に選ばれた井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)がロンドンへ向かった。密航だ。 このときに船の手配をしたのがジャーディン・マジソン。グラバーは1861年に武器商人として独立していたが、密航の手助けをしている。 グラバーは内戦で大儲けしていたのだが、予想外に早く戦争が終結したために武器を抱え込んで倒産してしまう。それを助けたのが三菱だ。イギリス支配層は内戦で徳川体制と薩長を共倒れにし、完璧な傀儡体制を築くつもりだったのだろう。 長州の若者5名がロンドンへ向かう6年前、インドで東インド会社の傭兵(セポイ)が反乱を起こしている。この反乱の責任を問われて東インド会社は解散、イギリス政府が乗り出してくるが、侵略の基本構造に変化はない。 インド大反乱の前、1840年に中国でイギリスはアヘン戦争を仕掛けている。この侵略戦争の主体も東インド会社。アヘン取り引きで大儲けした会社のひとつがジャーディン・マジソンである。 イギリス、その戦略を引き継いだアメリカはこの当時から長期戦略に変化はない。明治維新で日本はイギリスの戦争マシーンに組み込まれたのだが、関東大震災から巨大金融資本JPモルガンの影響下に入る。 そのアメリカは昨年(2018年)5月、米太平洋軍という名称を米インド・太平洋軍へ変えた。担当地域が太平洋から太平洋とインド洋へ拡大したのだ。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという。ディエゴ・ガルシア島も重要な役割を果たすことになる。 アメリカの戦略にとってインドは重要なのだが、そのインドにロシアが食い込んでいる。インドはロシアや中国と同じようにBRICSやSCOの一角を占めるが、それだけでなくロシアは新型防空システムS-400を2020年にインドへ引き渡すと見られている。 今後、インドを巡る綱引きが強まる可能性が高い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.02.28 12:39:27
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