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日本でも「内部告発」はあった。例えば、西宮冷蔵の社長による雪印食品の牛肉偽装や毎日新聞記者だった西山太吉による「沖縄返還」にともなう復元費用を日本が肩代わりするという密約があると明らかにしている。 その結果、西宮冷蔵は事業の継続が困難な状況になり、西山はマスコミから「ひそかに情を通じ」て情報を手に入れたとして攻撃された。西山と情報を提供した外務省の女性事務官は起訴され、1974年1月の一審判決で西山は無罪、事務官は有罪になる。 言うまでもなく、「沖縄返還」にともなう密約はふたつあった。 ひとつは西山がつかんだもの。アメリカが自発的に払うことになっていた返還にともなう復元費用400万ドルは日本が肩代わりするというもの。この報道を裏付ける文書が後にアメリカの公文書館で発見され、返還交渉を外務省アメリカ局長として担当した吉野文六も密約の存在を認めている。 もうひとつは核兵器に関するもの。佐藤栄作首相の密使を務めた若泉敬によると、「重大な緊急事態が生じた際には、米国政府は、日本国政府と事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする」というアメリカ側の事情に対し、日本政府は「かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの必要をみたす」ということになっていたという。(若泉敬著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』文藝春秋、1994年) 総理大臣の時代、佐藤栄作は日本を核武装させようとしていた。NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えた。こうした日本側の発言に対し、ジョンソン政権は思いとどまるよう伝えたというが、佐藤政権は核武装を諦めていない。1969年2月に西ドイツ政府に対して核武装を持ちかけたのだ。 1969年の1月にアメリカではリチャード・ニクソンが大統領に就任した。大統領補佐官はヘンリー・キッシンジャー。この補佐官は彼のスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装をすべきだと語ったという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991) 内部告発とは、支配層が秘密裏に行っている不正行為を被支配層へ知らせる民主主義にとって大切な行為。被支配者に関する情報を支配者へ知らせる密告とは逆だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.04.13 18:00:08
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