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2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒され、戦闘員や武器/兵器はトルコ経由でシリアへ運ばれる。その際にNATO軍とアル・カイダ系武装集団のLIFGが連携している実態が明らかになってしまう。カダフィ体制が倒された直後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられたのは象徴的な出来事だった。(ココやココ) 2001年6月から04年6月までイギリスの外務大臣を務めたロビン・クックは05年7月、「アル・カイダ」とはCIAの訓練を受けたムジャヒディンの登録リスト、つまりジハード傭兵の名簿だと書いている。 ベンガジの裁判所にアル・カイダの旗が掲げられても不思議ではないわけだが、アメリカは「アル・カイダ」と戦っているということになっていた。その象徴がオサマ・ビン・ラディンだが、この人物を2011年5月に殺したとオバマ大統領は発表していた。テロの象徴が消されたわけだ。 オバマ政権はリビアからジハード傭兵や武器をトルコ経由でシリアへ運び込むが、輸送の拠点になったのはベンガジにあったCIAの施設やアメリカの領事館。国務省はそうした行為を黙認していた。マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 そのアメリカ領事館は2012年9月11日に襲撃され、大使だったクリストファー・スティーブンスが殺された。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていたとされている。ちなみに、当時のCIA長官はデイビッド・ペトレイアス、国務長官はヒラリー・クリントンだ。ペトレイアスもヒラリーも工作を知っていただろう。 シリアへ運ばれた戦闘員はシリアで政府軍と戦っていたジハード傭兵の戦闘集団に合流、武器はその戦闘集団へ渡された。そうした工作を正当化するためにオバマ政権は「穏健派」を支援しているのだと宣伝していたが、それを否定したのがフリン中将が局長を務めていたDIA(国防情報局)だ。(つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.05.15 22:00:06
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