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《櫻井ジャーナル》

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2020.09.07
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 COVID-19(コロナウイルス感染症-2019)の感染拡大を口実とした収容所化が世界規模で進んでいる。人びとを監視するシステムが強化され、人びとの行動が制限されている。

 こうした事態をアメリカの支配者が想定していた。本ブログでも繰り返し書いてきたが、2010年5月にロックフェラー財団とGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)は「​技術の未来と国際的発展のためのシナリオ​」と題された報告書を発表、パンデミックで全人口の20%近くが感染、7カ月で800万人が死亡、人や物資の国際的な移動が止まることから旅行業のような産業や販売網は特に大きなダメージを受けると見通されていた。

 パンデミックへの対策としてマスクの着用、公共施設やマーケットの入り口における体温の強制的な測定が実施され、そうした管理、監視体制はパンデミックが去った後も続くと想定している。市民は安全と安定を求めて自らの主権やプライバシーを放棄するというのだが、これは現実になっている。全市民に生体認証が義務づけられるともしていた。強制的な隔離、つまりロックダウンが機能するとも主張しているが、そうしたことはなかった。

 ロックフェラー財団といえば欧米支配者の広報的な役割を果たしているが、やはり資本主義世界の中核グループに含まれる​WEF(世界経済フォーラム)創設者のクラウス・シュワブ​は今年6月、COVID-19を利用して資本主義を大々的に「リセット」すると語っている。世界のあり方を変えると言っているわけだ。

 実際はどうなるか不明だが、2001年9月11日の出来事は確かに世界のあり方を大きく変えた。その出来事とは言うまでもなく、ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎に対する攻撃。センターに建っていたノースタワーとサウスタワー、そして7号館(ソロモン・ブラザース・ビル)が爆破解体のように倒壊、ペンタゴンでは小さな穴が開き、後に建物の一部が壊れた。

 ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査が実施される前にアル・カイダが攻撃したと宣伝を始めたが、早い段階から倒壊への疑問を口にする人がいた。そのひとりがデベロッパーで高層ビルに詳しいドナルド・トランプ。現大統領だ。

 トランプは事件の直後に建造物の専門家として​ABCのジョージ・ステファノポラスからインタビューを受けている​のだが、その中でトランプは2001年9月11日の攻撃について、「イラクは世界貿易センターを崩壊させなかった。イラクではなかった。ほかの連中だ。その連中が誰なのかを私はわかっていると思っている。あなたもそうかもしれない。」と語っている。

 トランプは1993年2月にノース・タワーの地下2階にあった駐車場が爆破された出来事を引き合いに出している。その爆破でコンクリートの床が破壊され、4階層に渡って幅30mの穴が空いている。それでもビルはびくともしなかった。航空機が突入した程度で崩壊するようなビルではないと主張している。

 その後、1994年から2000年にかけて世界貿易センターではエレベーター・システムを改良、96年から2000年にかけては新しい治安システムを導入するための工事が実施されている。

 また、サウス・タワーにオフィスがあったフィデュシアリー・トラストのスコット・フォーブスによると、攻撃直前の9月8日から9日にかけて動力が落ち、50階から上は電力の供給がなくなるということがあったという。その影響で監視カメラやドアのセキュリティ・ロックも機能しなくなり、修理するために多くの技術者がタワーに出入りしていたという。ビルを倒壊させるために何らかの工作をするチャンスは十分にあったということだ。

 しかし、今でも「オサマ・ビン・ラディンが率いるアル・カイダ」が航空機を突入させ、それが原因でビルは倒壊したことになっている。

 しかし、アル・カイダなる武装集団は存在しない。2001年6月から04年6月までイギリス外相を務めた​ロビン・クックが05年7月にガーディアン紙で書いた​ように、アル・カイダはCIAの訓練を受けたムジャヒディンの登録リスト、つまりジハード傭兵の名簿。そのリストに登録する戦闘員をリクルートすることがオサマ・ビン・ラディンの仕事だった。

 2001年当時、オサマ・ビン・ラディンは肉体的に戦闘を指揮できる状態ではなかった。フランスのル・フィガロ紙によると、2001年7月4日から14日にかけて彼はドバイのアメリカン病院に入院している。彼は腎臓病を患い、人工透析を必要としていた。

 ドバイの病院でビン・ラディンを治療していたのはアメリカ人医師のテリー・キャラウェイで、入院中にサウジアラビアのトゥルキ・アル・ファイサル総合情報庁長官やCIAエージェントのラリー・ミッチェルが見舞っている。

 CBSニュースは2002年1月28日、パキスタンの情報機関(ISI)の情報として、ビン・ラディンは2001年9月10日にパキスタンのラワルピンディにある軍の病院へ入院、透析を受けている。9月11日にはパキスタンにいたのだが、その事実をアメリカは遅くとも12日には知っていた可能性が高い。

 ジャーナリストのティエリー・メッソンによると、オサマ・ビン・ラディンは2001年12月15日に死亡、アフガニスタンで行われた葬儀にはイギリスの情報機関MI6の代表が参列したというが、バラク・オバマ米大統領は別の説明をしている。2011年5月2日、パキスタンのアボッタバードでアメリカ海軍の特殊部隊NSWDGが彼を殺害、死体は空母カールビンソンから海に葬られたという。この出来事を目撃した人は見当たらない。

 2011年2月にアメリカ、イギリス、フランスを含む外国勢力はリビアへの侵略戦争を始める。地上軍はアル・カイダ系の武装集団LIFGが使われ、その戦闘をNATO軍の航空機が支援していた。地上には外国勢力の特殊部隊も入っていたようだ。

 ムアンマル・アル・カダフィ体制は2011年10月に倒されたが、その直後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられている。(​ココ​や​ココ​)






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最終更新日  2020.09.07 00:00:13



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