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カテゴリ:ひとりごと
金曜日の朝6時前・・・
突然携帯が鳴った。 眠い目をこすり着信を見ると近所に住む悪友Sからだった。 ハッとなり、慌てて電話に出る。 「もしもし・・・朝早くにスマン。実はあまり良い話じゃないんだが」 「もしかして・・・母ちゃんか?」 「ああ。病院から連絡があり、1時間前に亡くなった。」 それはSの母の訃報でした。 Sの母は、うちのオカンの従姉でもありました。 実は約20年前に大病を患い、徐々に普段の生活が出来にくくなり、数年前に近くの介護施設、そして病院へと移り今に至りました。 徐々に体を動かすことが出来なくなり、言葉も発せられず・・・晩年は意識のない状態がずっと続いていたんです。さらにコロナ禍で家族との面会でさえも厳しい状態でした。 元気な頃はうちのオカンと大変仲が良かったこともあり、暇があると 「こりりんちゃん、Tちゃん(うちのオカン)居る?」と、にこやかにやってきて二人で時間を忘れておしゃべり。 私がSと同い年の再従兄弟ということもあり、子どもの頃から一緒に笑って一緒に泣いて、そして叱ってくれたこともある、近所に住むもうひとりの「オカン」でした。 実は昨年末にSから「うちのオカン・・・あまり永くないかもしれん」と聞かされていたんです。 ただSも仲が良かったうちのオカンのことも気遣ってくれて「頼む。亡くなるまでお前のオカンにだけは言わんでおいたってくれ」と言われていました。 亡くなったことをオカンに告げたら、「そう・・・なんや。でも仕方ないわ」と言いながらも悲しみで涙を浮かべてオロオロとしていました。 その後、私も班長の役割があるため、近所にSの母の訃報を伝えに歩き、通夜・葬儀のお手伝いの打ち合わせ。 お昼前にSの母が、ようやく待ち焦がれた「我が家」に戻られたので、お参り行きました。 ただでさえ細い体格だったのに、更に小さくなってしまって・・・でも顔は私の知るSの「オカン」でした。(以後Sのオカンと書かせていただきます) 涙をこらえて笑顔をつくり「おばちゃん・・・おかえり。やっと帰ってこれたな」と心の中で話しかけ、Sの家族に挨拶と今後の打ち合わせをしました。 「〇〇はどれだけいるかな?」 「親父さんの時、どうだった?」 ・・・年末のブログに少し書いたのですが、実はSの親父さんが昨年4月に急逝されているんです。 Sの親父さんはSのオカンとは当時の田舎としては珍しく恋愛結婚。本当にオシドリ夫婦で、いつも仲良く明るく過ごしていたのですが、Sの親父さんが町の大役に急遽抜擢されて、ちょうど時を同じくしてSのオカンの発症・・・親父さんも介護と執務の両立、Sたち家族も二人を支え本当に大変な日々を過ごしてきたんです。 その後Sの親父さんも「平成の大合併」など町の発展に大きな業績を残し約12年務めてきた大役を引退。その後はSのオカンの看病に専念する毎日が続きました。 同時に自分の経験を同じ人たちに伝えるべく、介護の傍ら講演なども行ってこられ、全国テレビでも取り上げられたこともありました。 そのため同じ悩みを持つ人達をはじめ県内外を問わず多くの人に知られていました。 そんな中、Sたちを残して昨年4月に急逝。 県内のニュースでも地元紙でも親父さんの訃報を大きく取り上げられ、コロナ禍にも関わらず多くの弔問があったんです。 Sは1年で大切な両親を亡くしてしまいました。 「ほんまにかなんなぁ~」と言ったり相変わらずの冗談を言っていましたが、生まれて約半世紀の付き合いです。 こいつが心の中でどんな悔しくて泣き叫びたいかぐらい、よくわかります。 班長として、通夜・葬儀では班内の人達に交通整理や準備のお手伝いをお願いしたところ、若い方も含めて快くご協力いただけたことに感謝です。 葬儀のお別れの時、きれいな花をみんなで棺に入れているとき、 思わず「おばちゃん、今まで本当にありがとうな。ゆっくり休んでな・・・」と言葉と涙が出てしまい、私の横にいた仲の良い近所の若い子と二人で泣いてしまいました。 出棺の時も涙を堪えることが出来ませんでした。 班長の責をあずかったのは昨年2月。実は本当なら2年先のことだったのですが、実はご家庭の事情やお仕事のご都合で今年度に班長が受けられない方があったので、予定より早く班長が回ってきたんです。 ・・・でも、これでよかったのかもしれません。 4月にSの親父さん、そして先日のSのオカンと、私にとって大切なお二人を御浄土に送ることのお手伝いができたのですから。 葬儀後、SとSの奥さんに、 「こりりん、ありがとう。世話になったなぁ。お前には俺の両親二人も送ってもらうことになってしまった」 と我が家に訪れてきてくれました。 「いや・・・そんなことはない。これも縁なんだよ。今思えば班長を受けて本当に良かった。少しでも二人を送るのに手助けできたと思うから」 「そうか・・・うん。ありがとう」 「きっと今頃ふたりラブラブで、今まででできなかった老後を楽しむだろうさ」 「ああ、きっと・・・そうだな。これからもいろいろと世話になるが頼む。」 少し笑顔になり二人は戻っていきましたが、ふたりの背中には寂しさを感じてしまいます。 本当にSの両親は私にとっても両親そのものでした。 22年前、うちの親父が亡くなる直前のことなのですが、多忙にもかかわらずSの親父さんとSのオカン(この時は病魔を患う前でした)が見舞いに訪れてくれました。 私はその時病室におらず、これは付き添いに来てくれていた伯母の話です。 二人が訪れると、意識が混濁として誰がそこにいるのかさえ分からない筈のうちの親父がベッドから起きあがろうとして、更に二人の方に手を伸ばしたそうなんです。 驚いた伯母が「もしかして・・・後を頼むと言ってるんじゃ・・・?」と察し、お二人に話したら、お二人は涙を流し、大声で「Mちゃん!!(うちの親父)まかせろ!!大丈夫や!安心せい!!」と泣きながら両手で親父の手を力強く握りかえしてくれたそうなんです。 その2日後に親父は安らかに旅立ちました。 親父亡き後、お二人は本当に今まで以上に私達家族を気にかけてくださいました。 実は・・・私、 Sのオカンが亡くなったであろう直前の時間に、夢で親父に伝えられていたんです。 親父は夢の中では病室のベッドで横たわっているんです。 鼻や口からは治療用の管が出ている。 そんな親父が「今から家に帰るからな。」と私に話す。 私は「そんな体で大丈夫か?」と心配になって聞き返すんです。 「ああ、大丈夫だ。」と身体をベッドから起こす仕草をして、 そこで目が覚めました。 「夢かぁ。まだ外は暗いしもう少し寝られるな・・・」 しかしハッキリと起きているはずなのに、なぜか 「葬儀の時ってお茶菓子ってどれくらい準備しなきゃいけないんだっけ?」 「火葬時にボタンを押すのは嫌だなぁ・・・」 「体が小さいからお骨も小さいのかなぁ・・・」 なんて思ったんです。 「えっ・・・? 何だこれ? 何を考えてんだ?・・・葬式?・・・誰の?・・・変だな?まぁいいかぁ。もう少し寝よ」と鈍感な私は再度眠りにつきました。 そして、その後Sからの訃報の電話で目が覚めました。 その時「ああ、親父が教えてくれたんだ。」と察しました。 親父からの「知らせ」は時々あるんです。 実はブログに書いてませんでしたが、3年前の大阪の伯父が亡くなる日の朝も同じように親父が教えてくれてたんです。(その時も気付いてなかったんですが・・・) 「いまだに親父に心配かけてんのかな?」なんて思うこともありますよ。 親父も間もなく御命日。 今回も親父もきっと「Sちゃんとの縁を大切にしろ。彼を助けろ」と知らせてくれたのだと思っています。 おばちゃん・・・おっちゃん・・・今まで本当にお疲れさまでした。 そしてありがとうございました。 御浄土でも仲良く、今までできなかったことをふたりで思う存分楽しんでください。 あと、もしうちの親父にあったら「バカ息子はなんとか頑張ってる」とお伝えください。 今までありがとう。 またね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.01.28 17:29:38
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