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米国アカデミー賞の授賞式は退屈なので観ないことにしているが、結果だけはヤフーやらなんやらで耳に入ってくる。今年は、「ディパーティッド(The Departed)」が作品、監督、脚色、編集と四つさらって行ったが、これはないよな。You've got to be kidding!
マーティン・スコセッシは優秀な監督でGoodfellas、The Last Temptation of Christ、Taxi Driverなど数々の秀作を残しているにもかかわらず、いままで監督賞をもらっていないので、今年は彼の生涯の業績に対して贈られたと見るべきで、これはまあ許そう。 しかし、作品賞はないだろう。この映画は、香港映画の傑作「無間道(Infernal Affairs)」の焼き直しで、両者を比べると明らかに香港作の方が優れている。まず第一に、脚本のすばらしさ。ハリウッドは大金(いくらかは知らないが)で買い取った脚本だから、いいに決まっている。 しかし、アメリカ版はこの優れた脚本を台無しにしているのだ、マーク・ウォールバーグの演じる警察のボスの片腕、これは不必要な役で、アメリカ版にしか現われない。この付け足しが香港脚本の味わいの深さを木っ端微塵に打ち壊している。 この脚本の改変によって、原作にあった深遠なテーマ、善・悪の境界が曖昧な場所に身を置くこの二人のスパイの心の揺れと擦れを描き、勝ち残ったものも不死という無限の地獄で生きなければならない、というテーマを見事に捨て去ってしまっている。ハリウッド映画を見に来る何百万というボケ者達に、こういうテーマがわかるわけもないから、金儲けのためにはこのほうがいいのだろうが、作品賞はないだろう、脚色賞はないだろう。 アメリカ版の問題点は他にもある。 警察のボスとギャングに送り込まれた若者の間の心のつながり、警察に送り込まれたギャング側のスパイがギャング側にもぐりこんだ警察のスパイと相対した時に見せるある種のリスペクト、こういった眼に見えない部分の起承転結の進め方が、香港映画の方が秀でてる、と感じた。オーディオ屋で期せずして出会う二人のスパイのちょっととぼけたような会話は、アメリカ版にはない、これはアメリカ人にはわからないセンスなのだろうか? スコセッシのアメリカ版では、警察から送られるスパイをギャングのボス、ジャック・ニコルソンが雇う部分が描かれているが、いくら親戚の息子だといっても元警察官を雇う筋立てはちょっと無理があるんじゃないだろうか。香港版ではまだ警察の訓練学校を退学になったあと数年かかってギャングの一員にいつの間にかなっていることが語られ、ギャングのボスが彼をどうやって雇ったかについては描かれていない。こちらの方が自然だ。 とにもかくにも、この映画の各賞受賞に対しては異議だらけで、改めて原作の優秀さに敬意を表する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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