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2010.04.11
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ここ5年ほど一緒に働いてきた若い同僚が、数ヶ月前にかなりの昇給を得たにもかかわらず更なる昇給を要求した、という話を間接にそして直接に耳にした。彼は元僕の部下だったこともあり、何かとアドバイスをしている関係なので、説教がましいことを言ってしまった。「給料を上げてもらった直後にまた要求するというのには賛成できないな。プログラムが君を必要としていることはわかってるでしょ、それをいいことにある意味恐喝気味に話をもっていくのは、まるでプログラムに対する誠実さがないんじゃない、そういう君たちの考え方には反感を感じるな」。「君たち」と言ったのは、ほかにもそういう人間を知ってるし、大体がアメリカの職場では移動することで昇進していくのが通常。管理職の立場からすると、人を訓練して育てたと思ったらより上の給料を求めて他のプログラムや外部に移ってしまう、という最悪のパターンの繰り返しとなる。彼ら、彼女らには、ある職場に骨を埋めるなどという古典的な観念はまるでない。まったくアメリカ人の節操のなさよ。

などと、一昔前の終身雇用制の美徳を振りかざすような科白を吐いた後で、考えた。僕にしたって給料は高いほうがいいと思ってる、ただ、金が欲しいという態度を見せるのは格好が悪いと思うプライドがそういう行動(昇給を要求する)をさせないだけではないのか。金にしても名誉にしても食事にしても異性にしても、要は自分の欲求を人の目に曝すのは格好が悪い、ということを僕たち日本人は刷り込まれてきた。

これは欲求に限ったことではない。日本では、自分のことを話したり、自分の問題を訴えることは、控えなくてはいけない。

「近代化と世間」の中で阿部謹也が書いている、「(人工透析をしている患者に、水が増えるというような症状の悪化が起きると)日本の病院では・・・患者は何か悪いことをしたような気にさせられる。医者も看護師もどうしてこんなに増えたのかと詰問調でたずねる。」病状の悪化は患者自らの不始末の結果で、そうなることであなたは周りの人に迷惑をかけているのだよ、と責められることになる。

腎臓病のために人工透析と長年付き合ってきた阿部が、ドイツに旅した時にビールを飲みすぎて体内の水の量が増えてしまったことがあり、ドイツの病院で透析を受けた。申し訳ない、という気持ちを口に出すことに慣れている阿部が「ドイツでは空気が乾いているので」と弁解すると、ドイツ人医師は「飲むのはあなたの権利ですからそんなお気遣いはなく」と言ったという。日本での詰問調となんと違うトーンであろうか。少なくとも僕の知ってるアメリカでも同様で、身体や精神の病気や障害に対して、社会は便宜を図らなければならない。彼らが出来るだけ通常の生活を営むことは彼らの権利なのだ。

ここで何が見えてくるかというと、欲求にしろ心身の問題にしろ、個人固有のニーズ・必要性をどうやってコントロールするか、各文化圏さまざまに対処しているという点だ。

日本での個のニーズの抑制の仕方は西欧社会とは対照的だ。先日、NHKの番組で、「~させていただく」という言葉の使い方の妥当性を議論していたが、「結婚させていただく」、「注文をお受けさせていただく」といったちょっと不可思議な語法について、これは自分が世間一般の支えの上で成り立っているという気持ちの現れである、という説明をしていた。当初、「いけてない」が絶対過半数だった参加者が、説明の後で80%以上「いけてる」との評価に変わってしまった。つまり、個人は世間という漠然とした共同体があってこそ存在が許されるのだ、だから個人のニーズの充足は(結婚でさえも)世間に施してもらっているとへりくだって受け入れるべきである、という論理なのである。世間という不可解なベールで個人のニーズを包んでしまうことで、その尖鋭な突起を磨耗させてしまう、というのが日本式の個人のニーズの抑制の仕方だと言える。

アメリカではどうやってコントロールしているのか?基本的にはコントロールしないのだ。はみ出した部分は法律と訴訟で外側から絆創膏を貼って穴埋めをしていく。サブプライム問題にしてもエンロンという会社の途方もない不正会計にしても、コントロールされていない欲望が噴出してしまって、それに対応するシステムを急遽構築するという対応をしている。キリスト教という超越者によるコントロールという方法がかっては西欧社会にもあったのだが、いまやかなり風化しているというのが実情だろう。例えば、自分の自慢話をしないとか、勝者は敗者に勝ち誇ってはいけない、相手を傷つけるような態度や話し方をしてはならない、などというエチケットはあるが、これは徒に周囲や敵対者を刺激しても何の得にならないばかりか、将来に禍根を残すことになるかもしれないからという利己的な理由が潜在意識にあるに過ぎない。

「ナショナリズムという迷宮」という本で魚住昭と対談している佐藤優が次のようなことを言っている。第二次世界大戦後、シベリアに抑留された日本兵のうちで天皇陛下万歳からスターリン万歳に転向した部分が抱えていた天皇観というのは、「自らの意志で選び取るような概念」ではなく、「全体をふわっと包み込むようなイメージで」、一神教の神のような絶対的な一対一の関係ではない。この天皇観自体に「転びやすさがある」。一方、収容所で転ばなかった人たちもいたわけだが、彼らの方は、ユダヤ・キリスト教の神に近いものとして天皇を捉えていた。佐藤優の考えを取り入れて、次のように展開することが出来る。日本人の多くに共有される行動の原理は、戦前はこの柔らかな天皇観だったし、戦後は僕が上に述べた世間という漠然とした観念である。これらの行動原理は、柔らかく漠然としているがために、衝撃に弱く、信念は変節しやすい。

変節しやすいことが日本人にとって短所なのかどうなのかは別にして(僕は必ずしも悪いことだとは思わないが)、<漠然とした世間>に問題点が二つある。漠然とした世間は、優しさや気遣いなどの価値観を基準にして個のニーズを抑圧する傾向がある。よって、共同体の中での個の発現が容易ではなく発想の幅がどうしても狭くなる。もうひとつの問題は、世間の定義が漠然としているためどうしても恣意的に徹底されるようになる。これが行き過ぎるとある種ファッショ化することになる。

得体の知れない他者に気遣いをしながら生きる日本式も、野放しにされた他者の欲望が渦巻くアメリカ式も肌に合わない。ここらあたりで本格的に仏陀の思索を辿ってみるのもいいかもしれない。





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最終更新日  2010.04.11 14:26:34
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