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2016.10.14
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ボブ・ディランについては数回触れたので、ここにそのいくつかをまとめておこう。

1963年のスピーチ
1960年代初頭、ボブ・ディランがニューヨークのカフェでライブ活動を始めた頃のアメリカは、核戦争勃発の恐怖が人々の意識に宿り、黒人の地位の向上を中核とする市民権運動が吹き荒れ、そして社会批判としてのフォークソングが若者の言葉になっていた時代だった。恐怖と希望と反抗がごちゃ混ぜになった感情を、ディランの歌が掬い捕った。ボブ・ディランは時代の情念を象徴する存在としてもてはやされ始めた。

が、単なる有名志向で音楽をやっていたのではない20歳になったばかりのディランにとっては、人々のお仕着せがましい賞賛はかなり迷惑なことだった。

1963年暮、ケネディ暗殺の直後、市民権運動の全米団体がトム・ペイン賞というノーベル平和賞のような賞をディランに授与した。授賞式の即興のスピーチは、紅白歌合戦の批判的なコメントが物議をかもした長淵剛がぶっ飛ぶほどの、荒削りの若造の言葉だった。以下、一部を意訳で載せる。
・・・随分時間がかかったけど、やっと僕も若者になった、若者であることを誇りに思うよ。今会場に座ってるあなた方が消えていなくなればいいと思う。あなた方は海辺で寝そべってリラックスしていればいいのさ、あなた方ご老人の世界じゃないんだ、あなた方とは無縁の世界なんだよ、髪の毛が抜け始めたらもう現場から去るべきだよ。老人達は、ニグロ(当時はまだ使われていた「黒人」を意味する言葉)だ、黒だ白だ、赤だ青だ黄色だ、と話をする。僕には何の色も眼に入らない。僕には黒も白もない、右も左も関係ない、上と下があるだけさ、下は限りなく地面に近い、僕は上に向かって這い上がろうとしているんだ、政治とか些細なことは全く頭にない。僕の頭にあるのは、ごく普通の人々、そして人々が傷ついているということだけさ。・・・この賞はありがたくいただくけれど、だからといって妥協するわけには行かない、僕は僕の本当の気持ちを話すよ。ケネディ大統領を撃ったオズワルドという男ね、彼が何を考えていたか正確にはわからない、だけど僕の心の中にも彼が感じていたような気持ちがあるんだな、彼と似たような部分が僕にもある、もちろん誰かを撃つなんてしないけどね。
アイドルを作る人間の心はどれも同じようなものだ。それが市民権運動、反戦運動というちょっと見には高尚な人々の場合であろうと、宗教やカリスマ的な存在に献身する熱狂的な人々であろうと、あるいは髪を染めタトゥーを刻む一見天然風の若者の場合だろうと。自分に不足している何かを投影する鏡に過ぎず、アイドルにされる方から見れば迷惑な話だ。もっとも、経済的・政治的な莫大な利益を得ることができるので、少々の迷惑は無視するのが通常だが。

ディランの挑戦的な反抗の言葉に市民権運動団体のリベラルの大人達は怒り戸惑った。ディランはこのあとやや謝罪調の手紙を書いている。
授賞式で禿げ頭とか海辺で休めとか何故言ったのかわからない、僕の人生のムードは刻々と変化する、僕の心は不安で落ち着きがない、僕が何を意図してああいうことを言ったのか、誰も僕の意図を勘ぐることはできない、僕自身でもわからない時があるのだから。その日その日一番気楽な場所で、僕は人生を送っている、誰も僕のことを知らず、誰も僕を見つめないような場所。ところが、僕が人前に出る時、演奏したり授賞式に出たりする時、僕の心と体には絶え間ない動揺が走る、人々の僕に対する視線がこの動揺を呼覚ますのだ。心と体のこの混乱を本能が取押さえようとする、恐れがその本能を組敷こうとする。
僕はアーティストだ、自分の作った歌を人々の前で演奏する。それだけならなんと簡単なことだろう。スピーチをしなくてもいい、ただ歌えばいいのだから。ほんとは授賞式で歌えばよかったのだろう。でもそうも行かない、だってこの賞は僕の演奏に対してくれたものじゃなくて、僕の書いてる内容に対してくれたものだから。
「皆さん、どうもありがとう」とだけ言っておけばよかった。でも、何か言うことを期待されていると思った、それが何かはわからなかったが。オズワルドのことを話したとき、僕は時代のことを話したのだ、彼の行為について話したんじゃない。でも、もうたくさんなんだ、「これは私達みんなの責任です」とかという言い方を耳にするのが、反吐が出るほど嫌なんだ。だって、自分だけが自分の人生を生きているんだから、「私たち」という押し付けはやめて欲しい。今の時代に暴力が横行しているのは本当さ、でもそれは、僕自身の中に暴力的な性向があるからさ。
グループ化し何々主義化する「私達」的な社会の風潮には胡散臭さを感じてしまうディランの性癖。彼は反抗者の精神を一生持ち続けるのだろう、一所にとどまらない転がる石のように、Like a rolling stone。

ミネソタで
・・・ミネソタはボブ・ディラン(Bob Dylan)の生まれた州だ。1941年にDuluthというところで生まれて同州のHibbingという鉱山の町で育った。何の文化もないアメリカの田舎町で、寒さも手伝って「反抗」という精神は育たない環境だったそうだ("Weather equalizes everything" Dylan)。哲学とかイデオロギーなどという単語はこの町の辞書にない。田舎町のラジオから流れてくるのは、平和で当たり障りのないドリス・デイだとかのポピュラー音楽。仕方がないので夜中に遠方のラジオから流れてくるカントリー音楽やロックン・ロールを聴いて育った。高校時代にはいくつかのバンドで演奏した。

ボブ・ディラン、本名はロバート・ジマーマン(Zimmerman)、リトアニアとウクライナからの移民のユダヤ人三世。ユダヤ人の痕跡を残したくなかったのかミネソタ大学在学の頃にディランという苗字を使い始めた。理由は明かされていないが、詩人ディラン・トーマスに因んだのかもしれない。ミネソタ大学のあるミネアポリスは当時反ユダヤ感情が強かったという。
・・・
How many roads must a man walk down before you call him a man?
How many seas must a white dove sail before she sleeps in the sand?
How many times must a cannon balls fly before they're forever banned?
The answer, my friend, is blown in the wind (Blown in the wind より)

風に吹かれての一節、これを聴いた黒人たちは強烈なインスピレーションを受けた。なんで白人の坊やが俺たちの気持ちを代弁するような唄が歌えるんだ、これはゴスペルソング(黒人霊歌)と同じように、俺達の心を揺さぶる(黒人ゴスペル歌手の言葉から意訳)。

Well, it ain't no use to sit and wonder why, babe, if you don't know by now
When your rooster crows at the break of dawn
Look at your window and I'll be gone
You're the reaon I'm traveling on
But, don't think twice, it's alright (Don't think twice, it's alright より)

今まで考えてわからないんだったらもうこれ以上くよくよしたって無駄だよ、と囁きかける独特のしゃがれ声を耳にした当時の若者の心には、いつ勃発するかもしれない核戦争の不安を押し付けてくる世界に対しての怒りが湧き上がってきて、よっしゃ、もうこうなったら俺達の手で自由な世界を作り出そう、という自棄とも解放ともわからない不思議な感情に包まれる。

Where the people are many and heads are all empty
Where the pellets of poison are flooding their waters
And I'll tell it and think it, and speak it and breathe it
And Reflect from the mountain so all souls can see it
Then I'll stand on the ocean until I start sinkin'
But I'll know my songs well before I start singin'
It's a hard, it's a hard, it's a hard, it's a hard
A hard rain's a-gonna fall (A hard rain's a-gonna fall より)

激しい雨が、激しい雨が今降ってくる、とディランが歌ったとき、「激しい雨」は別に核爆弾とか放射能の雨の直喩を意図したのではない。しかし、聴く側は勝手にそう解釈し、これは一種の黙示録だと受け取った。いや、そういう時代の空気を無意識に反映してしまう感受性をディランは持っていた、と言った方が正確かもしれない。アラン・ギンスバーグはこの歌詞を読んだとき、バトンは次の世代に手渡された、と感じたという。

「俺は別に反戦フォーク(topical songs)を書いてるわけじゃないよ」とディランは抵抗した。自分の内面からこみ上げてくる感覚を言葉にして、それを伝統的なフォーク・ソングのスタイルを使って演奏していただけだ。ミネソタからニューヨークに出た頃の彼のアイドルはウディ・ガスリー(Woody Guthrie)だった。

世界がディランを時代の説教師か預言者のように仕立て上げ、ディランはそれに苛立った。ディランが内面の躍動のままに変身して行った時、今度は世界の方が苛立った。

ボブ・ディランのドキュメンタリ「No direction home」のDVDをミネソタからの帰りの飛行機で観ていたら、サンタフェに住む造形芸術家だという隣の席のおばさんが話しかけてきた。「私も観たけど、芸術家の宿命ね、自分の作りたいものと周りの要求するものとの乖離は。」その乖離の中で生まれたのが、Like a rolling stone という曲だろう。

転がる石のように
Like A Rolling Stone は1965年6月15日にレコーディングが始まり、翌16日になってようやく完成した、約6分という商業主義の限界をはるかに超えた長さで、最後まで通してレコーディングができたのはたった一度だけだったという、それがシングルとして発売された。

Rolling Stone誌やUncut Magazine誌などで「最も優れたポピュラーソング」だとか「世界を変えた映画、音楽、テレビ」の第一位にランクされ、ボブ・ディランの最高傑作と言われる。

表面のストーリーは、モデルだかなんだか売れっ子だった女性があっという間に落ちぶれてしまった話だ。

お前さ、ちょっと前までかっこよく着飾ってホームレスに小銭を恵んでたよね、だろ?
みんなが言ってたろ、「気をつけなよ、奢る平家は久しからずだぜ」って
つまらん冗談だと思ってた、だろ?
お前の後をついて回るグルーピーのことを大声で笑い飛ばしてただろう
今はもう大声で話さないね
今はこそこそと恥ずかしそうに
明日の食事のことを心配してるね
[サビ」
どういう気分だい、
帰る家がないっていうのは、
誰も気にもとめないっていうのは、
転がる石みたいなのはさ
・・・・
金持ち連中が酒飲んで豪華なプレゼントやらなんやら交換してる
でもお前はそのダイヤの指輪を質に入れたほうがいいぜ
・・・
あいつのところに行けばいいさ、あいつがあんたを呼んでるぜ、厭とは言えないだろ
もう一文無しなんだから、何にも失うものがない
もう誰もお前のことを振り向かないし、隠す秘密もないってことさ

と、歌詞だけを読むと、何故この曲が世界を変えた一曲なのかはピンと来ないかもしれない。この曲の与えた衝撃を理解するには、1965年という時代と、ボブ・ディランという彗星のように登場したカリスマ的な若僧と、多重音声放送のように複雑な彼の声とを同時に味わう必要がある。

この曲のストーリーは聴く人それぞれが何かを重ね合わせることができるような、粘土のように可塑的な内容なのだ。

ディランにとっては、彼自身のことだったかもしれない。時代精神の代弁者と祭り上げられ、フォーク・フェスティヴァルで市民権運動を盛り上げる歌手として持て囃された。しかし、ディランは違和感をもっていたようだ。俺の音楽は別にプロテスト・ソングを目指したしたものじゃないんだ。このままみんなの偶像でい続けるわけには行かない。俺は俺の感じるままに変身しなくちゃ。しかし、変身するディランを人々は裏切り者と呼び「ユダ」のレッテルを貼る。1965年のフォーク・フェスティヴァルそして1966年のイギリスのコンサートでエレクトリックの伴奏を導入したディランに、若者達は罵声を浴びせた。ディランは自らの「凋落」が必然であることを感じていたのかもしれない。この曲はディラン自身の大衆からの乖離への予言だったのだろうか。

核戦争とヴェトナムと市民権運動、こういう不条理の中でもがいていた若者達には、この曲は自由と反抗への狼煙だったかもしれない。僕達はこの世界に一人ぽっちで放りだされているのだ。自分しか頼るものがなく、帰る家の方角もわからない。でも、それが自由ということなんだ。この厳しさを乗り越えなくては解放はやってこない。生ぬるい状況から旅立たない限り、僕達の世界は勝ち取れない。伝統も絆も世俗的な名誉も経済的な成功も棄てて、転がる石のように生きてみよう。

という感じで、決まった音符の上にすんなり落ち着かないディランの声が、それぞれの人さまざまに腹の底を掻き回すような感情を呼び起こしたのだろう。

How does it feel? To be on your own,
With no direction home, Like a complete unknown,
Like a rolling stone ・・・

最後に、ヴァン・モリソンについて書いた時に作ったサンプル曲集にいくつかディランの曲が含まれていたので、ついでにそのリンクもここにつけておく。再生はここを左クリック。





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最終更新日  2016.10.14 07:47:29
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