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2019.06.09
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テーマ:本日の1冊(3684)
英語やスペイン語といった外国語より古文読解は苦手でいまも日本の古典を原文で読むことができない。作品によっては現代語訳が出ているので、内容だけを掴むには便利かもしれないが、訳がどれほど忠実なものかはわからないし、そもそも雰囲気がまるで違っているので、心に描き出されるイメージも原文とはずいぶん隔たったものになっているに違いない。

吉本隆明が講演の中で源氏物語の現代語訳に触れて、与謝野晶子訳、谷崎潤一郎訳、円地文子(瀬戸内寂聴)訳、そして吉本自身のできるだけ忠実な訳を比較している(吉本の講演のテキスト)。たとえば、「葵」の中で、源氏と若紫の新枕の朝に至る心の動きを描いた部分を、原文では
・・・心ばへのらうらうじく愛敬づき、はかなき戯れごとのなかにも、うつくしき筋をし出でたまへば、思し放ちたる年月こそ、たださるかたのらうたさのみはありつれ、しのびがたくなりて、心苦しけれど、いかがありけむ、人のけぢめ見たてまつりわくべき御仲にもあらぬに、男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬ朝あり。(原文はこのブログから拝借した)
とあるのを、まず吉本の忠実な訳では
若紫の心ばえはあでやかに可愛らしくなり、何ということもない遊びごとのなかにも、美しい手筋などを考え出されたりするようになったので気にもかけなかった歳月のあいだこそ、たださり気ないあでやかさを感じただけであった。もうこらえきれなくなって、心苦しい思いはしたが、どういうことがあったのか、他人には区別がわかるような間柄でもない二人なのに、男君のほうがはやく起き出されたのに、女君のほうがとても起きてこられないような朝があった。
としている。円地訳は、
姫君は気立てが賢しくて、その上愛嬌がおありになり、ちょっとした遊び事のうちにも、正しい筋をお見せになるので、相手が若すぎて男女の交わりは思い放していられたこの数年の間こそ、ただ子供々々した愛らしい御方ですませていたものの、今はなかなか我慢出来なくなられて、まだ無邪気なおとめの姫には可哀そうかと思われもするが、その辺りはどういうことであったのか、…もともと一つ御帳の内にお寝みつけになっていて、人の目にはいつからともはっきりお見分け出来る御仲合ではないのであるが、男君だけが早くお起きになって、女君はいっこう起き出ていらっしゃらない一朝があった。
とある。これに対して谷崎訳では、
生れつきが発明で、愛嬌があり、何でもない遊戯をなされましても、すぐれた技倆をお示しになるという風ですから、この年月はさようなことをお考えにもならず、ひとえにあどけない者よとのみお感じになっていらっしゃいましたのが、今は怺えにくくおなりなされて、心苦しくお思いになりつつも、どのようなことがありましたのやら、「幼い時から睦み合うおん間柄であってみれば」、餘所目には区別のつけようもありませんが、男君が早くお起きになりまして、女君がさっぱりお起きにならない朝がありました。
としている。そして最後に与謝野訳を載せると、
相手の姫君のすぐれた芸術的な素質と、頭のよさは源氏を多く喜ばせた。ただ肉親のように愛撫して満足ができた過去と違って、愛すれば愛するほど加わってくる悩ましさは堪えられないものになって。心苦しい処置を源氏は取った。そうしたことの前もあとも女房たちの目には違って見えることもなかったのであるが、源氏だけは早く起きて、姫君が床を離れない朝があった。
円地、谷崎、与謝野、それぞれに読者が源氏の心の動きをよく理解できるように補っているのがよくわかる。いくつか例を挙げると、原文の「思し放ちたる年月こそ」を円地は「相手が若すぎて男女の交わりは思い放していられたこの数年の間こそ」、谷崎は「この年月はさようなことをお考えにもならず」としている。原文でこれに続く「たださるかたのらうたさのみはありつれ、しのびがたくなりて」の部分を、円地は「ただ子供々々した愛らしい御方ですませていたものの、今はなかなか我慢出来なくなられて」と訳し、谷崎は「ひとえにあどけない者よとのみお感じになっていらっしゃいましたのが、今は怺えにくくおなりなされて」としている。この二つの部分を、与謝野になるともっと自由奔放に「ただ肉親のように愛撫して満足ができた過去と違って、愛すれば愛するほど加わってくる悩ましさは堪えられないものになって」と、ほぼ意訳のレベルに達している。これらの例からわかることは、古文をよほど読み慣れていない限り、古語の解釈はもちろんのこと省略されている文章の主体なども読み取れない、だからと言って、現代語訳だけを読むと、訳者の素養や意図によって余分なものが付け足されているので、果たして原作の思惑とどうずれているのかがわからない。

原作そのものにできるだけ近づきたいしかし原文は読めない、という僕のような読者は原文と現代語訳の両方を同時に読み比べながらゆっくり進むしかない。その手段がいくつかある。

ざっと眺めただけでもいくつか対訳表示を載せているウエッブサイトがある。一つは、「源氏物語の世界 再編集版」で、高千穂大学の渋谷栄一教授が公開している「源氏物語」の原文・訳文・注釈などを再編集して読みやすくしてある(渋谷氏のサイトはここ)。もう一つは、「A cup of coffee」というサイトの「源氏物語を読む」ページ。どちらも素晴らしいと思う。

紙の本を持ち歩きたいという場合は、新潮古典集成がいい(新装版はまだチェックしていない)。原文のわかり難い部分(すべてではない)の脇に赤茶色の訳がやや小さめの字で書かれてある。上三分の一ほどのスペースに注釈が付けてある。電子本でもいい場合は、今西春樹氏がキンドル版の新・分かち書きシリーズを廉価で出している。残念ながら、「花散里」までしか出版されていない。

もう一つ、岩波書店が新日本古典文学大系「源氏物語」の文庫版を2017年から出版しはじめ、全9巻中現在までに5巻が出されている。僕のような古文不能者を救うため、このシリーズは三つの特徴を備えている。一つは、わかり難い文章の訳と注を左ページに対訳のように載せてあること。もちろん対応する原文は右ページにある。二つ目は、各章の冒頭にあらすじが箇条書きしてあること。これだけを読んでも大要が見渡せる。そして、各章末には系図が載せてある。複雑な人間関係を理解するのにこれは不可欠だろう。

外国語を読み書きすることは楽しいし世界が広がるが、自国語の古い文章を読めないというのも恥ずかしい。現代日本語をある程度駆使できるという絶好の立場にあるわけだから、上にあげたような道具を使って日本語古文を読みその文学や思想のレベルを理解することにもう少し努力しよう。





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最終更新日  2019.06.09 20:52:32
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