783675 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2020.01.05
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
ある夕方、友人と筑波近郊で会う約束をしていて、落ち合う時間から逆算するとつくばエクスプレスに乗るまでにはまだ2時間近くあり、駅近くのフードコートのようなスペースでコーヒーを啜りながら電子本をしばらく読むが、お尻がムズムズしてきたので近くのブックオフに行き買ったのが前回触れた、アンリ・ベルクソン(1859-1941)の「物質と記憶」だった。例によって、僕にとっては「名のみ・・・」哲学者の一人で、彼の思想についてほとんど何も知らなかった。

ユダヤ系ポーランド人の父とユダヤ系イギリス/アイルランド人の母を持つフランス人のベルクソンは、今では想像もできないがどうやら超人気のあった思想家・哲学者で、1913年にニューヨークのコロンビア大学で講演をした時は、マンハッタンの歴史で初めて交通渋滞が起きたとか(注1)、1914年にはユダヤ人として初めてフランス学士院に迎えられ、1927年には哲学者として初めてノーベル賞(文学賞)をもらっている。戦前の日本でも人気は高く、鈴木貞美の「入門 日本近現代文芸史」に拠れば、西田幾多郎、夏目漱石、中原中也、宮沢賢治などが影響を受けているという。西田幾多郎の場合を見てみよう。

西田は「善の研究」(出版は1911年)をまとめた後でベルクソン思想に出会い、自分の思想との共通性に気付く。ベルクソンのエネルギー概念こそ使っていないが、西田にも「永遠の生命」が流れているという把握があった。その後、ベルクソンの研究に取り組み、1910年には「ベルクソンの哲学的方法」を書いた。日本ではベルクソン・ブームの後に西田の「善の研究」(1921年版)が学生の間で広く読まれるようになった。(上掲書、pp. 142-143)

「善の研究」へのベルクソンの影響はもう少し濃いようで、1941年1月7日の朝日新聞に掲載されたベルクソン逝去時のインタビューで西田はこう言っている。
自分は四高時代彼の所謂「直接所与」に触て大いに得るところがあり,また「純粋経験」なる考えに到達し「善の研究」を世に問うたのはベルグソンを知り得てからのことだ・・・彼の哲学は生命の創造を深く明らかにした哲学だといえよう・・・ベルグソンは先づ世界の実在は純粋経験であるとした・・・しかも純粋持続は創造的なもので、この観点に立って総ての生命を説明した、これを彼はエラン・ヴイタル(生命の飛躍)と名付けている・・・(郡司良夫、2013年、松山大学論文集、オンライン)
élan vital(エラン・ヴィタルあるいはヴィタール)というのはベルクソンが「創造的進化」(1907年)で使った言葉で、生命の躍動、飛翔と訳されている。英語ではvital impetusあるいはvital forceと訳されている。ベルクソン思想のキーワードの一つで、生命の発生と進化を突き動かす根源的な力のようなものを指している。

生命の力に注目するというベルクソンの考え方は、世紀転換期思想には比較的よくみられる傾向で、次のような説明がしっくりすると思う。
・・・近代の理性主義(合理主義)の伝統に反抗して、19世紀の後半から20世紀にかけて台頭したのが、いわゆる「生の哲学」で総称される非合理主義の傾向である。しかしこれは、生の哲学に限らず、一般に19世紀の偉大な思想には共通のことであり、それらは全て永遠の理性というものへの信仰を放棄し、理性の秩序よりもさらに下に、もっとも根源的で否定しがたい人間の現実を発見した。神へむかった無限の関心と情熱を本質とするキルケゴールの「実存」、マルクスにおける人間の感性的条件としての社会経済的な制約、ニーチェの「力への意志」、プラグマティズムにおける「有用性」、フロイトの「リビドー」などが、人間におけるそうした根源的現実の代表例である。(山崎庸佑「ニーチェ」講談社学術文庫、1996年、p.53、原本は1978年刊)
ある時代の思想について、切り取り方には様々あるとは思う。しかし、啓蒙の時代からフランス革命を経て合理性だけでは人間は説明できない、という考え方の拡がりがあった、ベルクソンもその一人であった、ということは確かだろう。

たとえばニーチェなどは未だに人気が高いのに比べて、ベルクソンの人気と影響力は第二次世界大戦を境にして(特に英語圏では)影をひそめてしまう。ベルクソンの凋落の原因は何だったのか?In Our TimeというBBCのポッドキャストで、出席者達がいくつかその原因を挙げている(注2)。一つは、1922年に起きたアルバート・アインシュタインとの時間に関する論争、そこでベルクソンは負けたとみなされたこと、二つ目は、「西洋哲学史」を書いたバートランド・ラッセルがベルクソンを強く批判したこと、もう一つは、反ユダヤ主義の西欧での拡大に対して悲観的だったからだろうか(彼が死んだのはナチ傀儡政権時のフランス)遺言によってベルクソンの原稿は全て燃やされ、その結果ベルクソン文書には彼の書斎のものしか入っていない、つまり詳細なベルクソン研究が発展する余地がなかったということらしい。


注1 Simon Critchley、The Book of Dead Philosophers、2008年、p.191。スタンフォード哲学百科事典(オンライン、2016年)によると、講演の一週間ほど前にニューヨークタイムズに掲載されたベルクソンについての長文の記事が、過剰な人気の原因だったかもしれないとある。

注2 In Our Time、2019年5月8日、https://www.bbc.co.uk/programmes/m0004s9w





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020.01.05 12:18:31
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ

利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

cozycoach@ Re[1]:キンドル本をダウンロードできない(12/04) たいていの人は何かに、誰かに、アンチを…
JAWS49@ Re:キンドル本をダウンロードできない(12/04) 解決策を思いつかれてよかったですね。 私…
cozycoach@ Re:キンドル本をダウンロードできない(12/04) ほんとにねー、アメリカのサポートはイン…
ranran50@ Re:キンドル本をダウンロードできない(12/04) PCの再設定とかめんどくさいですよね~。…
cozycoach@ Re[1]:キーワード検索機能(11/10) JAWS49さんへ 恣意的とは違うんですけど…

フリーページ

日記/記事の投稿

カテゴリ


© Rakuten Group, Inc.