カテゴリ:演劇
劇団櫂のことを『演劇にハマるきっかけになった~』と書くたびに、なんだか「こそばゆい」というかイマイチ所在のない感覚になるのはなぜだろう…?と考えて、やっと気がつきました。
演劇にハマる…と聞くと、「学生時代は演劇部で芝居漬け」とか「役者を目指し養成所の門をたたいた」とか「戯曲を読みまくった」とか「演劇史を勉強した」とか…限りなく”濃いぃ”人達が浮かぶのですが、私はそういう方達の足元には及ばない、単に芝居を観るのが楽しみなだけの観客、ファンなので。 だから、『舞台鑑賞にハマるきっかけ』になったという方が正しいですね。 加えて『リピート鑑賞の面白さに目覚めた』とも。 劇団櫂は、1977年に創立。私が高校生の頃ですね(歳がばれる~)。 高校の友人には演劇部や美術部のコが多く、しかも女子高だったので…今で言う「オタク」やら「腐女子」が自然と集まっていたわけです。私もご多分に漏れず、「宇宙戦艦ヤマト」や「科学忍者隊ガッチャマン」(いずれも当時、再放送が大ブレイクしていた)、さらには「機動戦士ガンダム」(これは本放送)をキャーキャー言いながら見ていたクチです。 母親曰く、「彼氏がいないから、架空のヒーローに夢中になるのよねぇ~」”哀れ”…だって(凹) でね、特に濃いファンだった友人が、夏休みだか春休みに、アニメのアフレコ見学に行ったんです。場所は、たぶん新坂スタジオ。声優のひとり、兼本新吾さんが、友人に声をかけてくれ「芝居、観に来ないか?」と、誘ってくれたのが最初。劇団代表の中田浩二さんをはじめ、当時は、アニメファンの間では名が知れていた声優さん達も数人所属していましたね。塩屋翼クンとか。古川登志夫さんもいたかな。 公演を観た友人の話を聞いて、すかさず「私も観たい!」と、鑑賞仲間に入れてもらったのです。その後少しづつ仲間が増えて、多い時には8人ぐらいだったかな。それからは年に3~4回の櫂の公演が、高校卒業後に離ればなれになった友人たちとの再会の場に。公演が跳ねたあと、兼本さんが飲みに連れて行ってくれるのが、とにかく楽しくて! お会いするたびに、恋愛や仕事の話をして(ま、人生相談ですね)。今の旦那と婚約したことを兼本さんに報告すると、「おぉ?!よかったなァ。今度彼氏連れて来いよ。」と、まるで親戚のおじさんのように細い目をさらに細くしながら嬉しそうに言ってくれたっけ。 そんなお付き合いが10年以上続いて、あれ?最近公演の連絡が来ないなぁ…どうしちゃったんだろ?と思っていたら、訃報が届いて…。兼本新吾さんは、1991年の冬に脳内出血で、58歳の若さで他界されたのでした。 「兼本さんのいない櫂」を観る気にはなれず、ちょうどその頃に妊娠もしたりで、結局、櫂からも舞台鑑賞からも遠ざかってしまいました。 でも、30周年記念公演を観に行って良かったです。創立にも参加したであろう兼本さんの、思い出に浸れただけではなく、素直に作品を楽しめました。家族や夫婦の愛情をテーマにした作品は、往々にして退屈になりがちだけれど、やはり一番大切なことだなぁと。こういう「ほっ」とする小作品を楽しめる感性は、失いたくないなと思いました。 ※10/22一部削除、修正 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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