テーマ:乳ガ~~ン(1222)
カテゴリ:乳がんのこと
ついに・いよいよ・やっと
術後 満20年 経過です 3年前の日記に書いたように、これで自分自身にも周りにも自信を持って「完治」と言えます。信じる基準は人それぞれなので、3年無事で治った!と思える人や20年経っても不安な人がいてもおかしくありません。私の場合は「3年でハードルを越え」「10年で完治が見え」「20年で本当に完治」したと思えたのです。(←単なる思い込み) いや〜頑張ったなぁ私。頑張らないことを頑張った。 これも自然の摂理、誰のせいでもなく運命、貴重な経験、等々……決して「がん」を恨んだり(そもそも自分の細胞だし)、がんに罹ったことを悲観しませんでした。むしろ私の人生に彩りを添えるエピソードになるはず、と良いほうに考えました。例えば……「エベレスト登頂した〇〇さん」よりも「乳がん経験後にエベレスト登頂した〇〇さん」のほうがドラマチックじゃない? 罹患したときは娘のキッコロはまだ4歳。一番手のかかる時期は過ぎていたけれど、闘病と子育ての両立はときに周囲の不理解や誤解を生み、辛い思いをしたこともありました。そんな時、がんのことを伝えてあったごく親しい友人の助けや、なによりも旦那の絶大なる協力に救われました。本当にありがとう。 「私が早死にすることが一番の家族不幸」だと思い、いかなる時も自分優先で生きるぞと開き直ったせいで、正直なところ子どものしつけ・教育は手抜きでした。ぜんぜん理想の母親じゃないし、娘のキッコロも理想通りに育っていません(苦笑)理想を追い求めるとストレスが溜まるので。自分の身体と同じで、自然体でなるようになればいいんじゃないですか?って感じです。 妻としても嫁としてもおそらく不合格でしょうねぇ。こんな私でホントに申し訳ないとも思いますが、ストレス回避のためには悪妻、ダメ嫁と思われても構いません。 以前、乳がん患者さんたちの集う掲示板に出入りしていました。そこで目にした『舅姑から「もうアナタは気をつかう法事とか親戚関係のことは何もしなくていいからね」と言ってもらえて気が楽になりました。』という書き込みに、そうだよなぁと頷いたり、それに比べて私は…と時に拗ねたり。おーい、私、2回もがんに罹ってるんですよーー。またがんになっちゃうよーーー。と今でも時々叫びたくなります。 義理の姉(旦那の姉)が8年間の闘病の末40歳で他界しているため、初めから病気についての理解はあったものの、「あなたは早期発見だから(大丈夫)」の慰めの一言も、病期のレベル的に義姉と比較し軽く思われているような気がして、「同じがん患者なのに…」と理不尽に感じたこともありました。 まぁ、それでも今こうして満20年を迎えて元気でいることが全てですね。私自身ががんをすんなり受け入れたように、そんな私を家族も受け入れてくれたおかげ。2回目も笑顔で20年を迎えられるように、もう少しわがままでいられる……かな?いられるといいな ★参考「顔つきが悪い」 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.03.30 11:02:41
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