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カテゴリ:山と生きる
打ちしおれる心と見事な自然の言葉に声を失う思いとを、共に抱き、涙ぐむようにしていると、父が出てきて、笑顔を向けてくれた。
何を話してくれたか、もう記憶にない。 ただあのときの強い体験にふさわしいようないたわりが、父から流れてきたことだけが残っている。 市川三郷町からの櫛形山 空が白くなり、人間たちの朝が動いていく気配が満ちた。 富士川町からの櫛形山 いつのまにか文筆に関わって生きてきたけれど、言葉に対する私の感じ方の中には、あの朝の体験が深く広がっているようである。 それは人間たちの深々とした生の営みの中で、言語化されている部分の小ささ、貧しさへの思いである。 いや、まだ言葉になっていない広い領域のあることに対する、いとしさである。 市川三郷町からの鳳凰三山:左側より 大崖頭山・辻山・薬師岳・観音岳・地蔵ヶ岳・千頭星山 言葉は朝焼けの中の八歳の少女のようだ。 市川三郷町からの櫛形山:中央の集落は平林 森崎和江の「朝焼けの中で」は中学3年の国語の教科書に掲載されています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.01.18 06:00:08
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