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カテゴリ:本とか、絵とか、いろいろ
連日の混雑情報やら、己の神経痛状況やらで、ぐずぐずしていたのだけど、 でも、やっぱり、これは観ねば!と。 今後おそらく、全作揃って再来日はないだろうし、自分自身が海外へ行く事もないし、 この機会、逃せないだろう!と。 で、職場の状況も落ち着いたし、有給取って、出掛ける事にした。 事前に、チケットはネット購入して、自宅でプリントアウト。 当日チケットの発券に時間が掛かっているのを、公式Twitterで知っていたから、 これは良いやり方だなぁ…と。 その上、当日の入場の際に半券が貰えると知って、益々喜んでいたのだけど、 ところが実際は、プリントにゴム印チェックだけで、入場を促されてしまった! それで、他の係りの人に問い合わせたところ、無事、半券を貰えて、ホッ… 入場列についたのは開場10分前、ほどなく列は動き入場できた。 入場してすぐのところに、音声ガイドの貸し出しコーナー。 普段は借りた事のないモノだけれど、ナレーションが健太と知っては、 これは聴かねばならぬ!!! 殊更作らない、地に近い音色で、穏やかで聴き易いナレーションだった。 内容的にも、多くを語り過ぎず、ポイントを指差してくれるような、 とても心地よい語り口に、ゆったりとした気分で鑑賞する事が出来た。 健太のエスコート…最高だった~♪ 公式カタログが、事前に通販出来た事も、良かった。 アールヌーボーなミュシャは、若い頃から親しんできた。 でも、今回の展覧会には、少し尻込みする気持ちもあった。 それは、自分には難しい…理解が遠く及ばない…宗教や民族や歴史に、 重要な意味がある作品を前にして、ただただ茫然と途方に暮れるのではないかと、 どうしても不安があった。 少しでも、作品に対峙する心得となるよう、カタログを繰り返し読んで… とはいえ、付け焼刃にしかならないのだけど… 目の当たりにした『スラヴ叙事詩』は、圧巻だった。 入り口から、もういきなり最初の「原故郷のスラヴ民族」が垣間見えてしまって、 とうとう観るぞ!と覚悟する間もなく…ちょっと動揺もしてしまった。 全体的に薄暗がりな画面の、その中に在って、白くぼおっと浮き出ている ふたりの人物の不安は、観る側の胸も締め付ける。 侵略者から逃れてきたふたりの、その先に、楽観はない… その最初から、胸内が不安に掴まれ、晴れ晴れとは気持ちがならない。 最も画面が明るく、描かれている内容も祝祭である「東ローマ帝国として戴冠する セルビア皇帝ステファン・ドゥシャン」ですら、こちらの気持ちが楽観出来なくなっている。 「ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭」も、画面下層にスラヴの神の祭が描かれているが、 上層では既にゲルマンの神が押し寄せようとしている。 ゲルマンの神は、「トール」と説明されている。 つまり、英語読みの「ソー」で、健太の声で「トール」を聞くとは、 ちょっと嬉しくなってしまう。 ただ、他所の説明では「オーディン」と書かれたものもあった。 カタログ等で観ると、隻眼には見えないのだけど、でも、確かに狼を率いている。 いずれにしても、他民族の戦神の来襲には違いない… 一番奥の展示室の5作品は、撮影を許されている。 今回、ガラス越しではなく、柵越しでもない事が、既に稀有な事なのに、 撮影までも許された幸福を思う。 そもそも、初めて他国での展示の、その第一に選ばれた事も… 平日の午前中とはいえ館内は混雑していて、あえて正面からは望まず、 ささっと斜めから撮った。 でも、こう自分が撮った画像を見て、絵を目の当たりにして感じた事と、 また違うものに気付いたりして、面白い。 とにかく絵は巨大で(この「イヴァンチツェの兄弟団学校」で、610×810cm)、 こちらに投げかけられるものも膨大で、その全てを受け止める事は、なかなか難しい。 だから、こんな斜めの画像でも、確かに自分の視線であって、 こうして持ち帰る事が出来た事を、ありがたく思う。 この絵の、ミュシャの若かりし頃をモデルにしたという青年の、 画面から身を乗り出すようにして投げかけてくる、「視線」。 『スラヴ叙事詩』を目の当たりにして、やはりまず最初に囚われるのは、 絵から投げかけられる「視線」だ。 それは、絵のタイトル的な主人公からではなく、名もなき人々から 投げかけられる。 戦に巻き込まれれば、なすすべもなく踏みにじられるただの庶民の、「視線」。 そこに込められているものを見よと、青年の視線は言うのかもしれない… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 22, 2017 09:09:02 PM
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