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2016年12月12日
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カテゴリ:大川 充夫
ミツオーです。明日は日帰りで金沢へまいります。


さて、すでにあちこちに書いたのですが、金沢競馬所属の菅原欣也調教師が、11月27日に通算1000勝を達成しました。



菅原調教師は、1993年に宇都宮競馬でデビュー。
2005年3月で宇都宮が廃止になったのをうけ、金沢へ移籍。
2001年のとちぎ大賞典をナルシスゼットオーで、2010年のサラブレッド大賞典をナムラアンカーで制した他、北関東でも金沢でも、常にリーディング上位で活躍を続けてきました。



わたしが菅原師に初めてお会いしたのは、もちろん北関東でのこと。
北関東から競馬がなくなった後、幸いなことにこの仕事を続けてこられた上、金沢競馬の実況も担当することとなり、菅原師とも再会することができました。
以来10年以上。
宇都宮競馬廃止からかぞえれば、12年。


こういう言い方はアレですが、菅原師にはたくさんお世話になり(平たく言えばご馳走になり)、いろいろご一緒してきました。

その菅原調教師が通算1000勝という、大きな区切り勝利に到達したことは、個人的にも大きな喜びを感じずにはいられません。
が、それはともかく。
今回、菅原師に、1000勝達成のインタビューをさせていただきました。
以下がその内容です。

「ここまできてうれしいですけども、色んなことがありましたからね。
廃止があったり移籍があったり。ここまでくるとは思いませんでしたけども、だから、できてうれしいというのが実感ですね。
(宇都宮廃止はちょうどキャリアの半分のあたり)廃止になってみて、人生の切り替えじゃないですけども、新しく始まる気持ちで始めた。そういう気持ちがここまでこられた基かなというのが本音ですね。
それもあるし、ついてきてくれた厩務員・関係者に感謝したいというのが一番です。
(悪いときも経験し、今、少し浮上のきざしが出てきた地方競馬)競馬もこのとおり、ずっと続けてきましたでしょ。
底辺も経験して、やっときざしが見えて…。
競馬が恒常的にあるということには、わたしらやる気も出てきます。それがこうして結果につながった、これからもやっていける、というのはうれしいことですよ。
栃木の調教師は、運わるくわたし一人になってしまって、心さびしいですよね。同志がいないのがつらいですよ。

栃木と金沢では、全然違いますね。冬季ないのが、どうしようかと思った。
慣れるまでは難しかった。オーナーを維持するのがね。

競馬は人生の生きがいですね。(お仕事ですが)そう、仕事が生きがいになりましたね」
親しくしていただいている間柄ですから、普段はもっとグンとくだけた口調で話す菅原師ですが、こうしてインタビューとなるとあらたまった口調で丁寧な言葉遣いになるのは昔から変わりません。


(1000勝達成記念の宴席で)


このお話の中にもあったとおり、宇都宮競馬廃止時の調教師さんで、現在も現役調教師でいるのは、菅原師だけ。
一時、仁岸進調教師が海外へ挑戦したのですが、残念ながら短期間のみで帰国・引退。
うつのみや・足利の調教師さんで、廃止後も調教師として活動してきたのは菅原師ただひとりです。


菅原師には折に触れて様々なお話をうかがってきました。
廃止になってしまった北関東の競馬について、菅原師は


「競馬を始めたところだから、いいも悪いも他所を知らなかったし…でもすごくいいところだったと思いますよ。
競馬自体、それに人間関係をふくめて環境も良かった。

栃木の競馬は、今にして思えば、自分にとっては青春でしたね。金沢は…年金競馬というか(笑)、延長のようなものと捉えてやってきました。これはこれでいいモノなんですけども。

うつのみや競馬が続いてくれていればと思うことは、もちろんあります。今でも思います。
ただ、わたしはそう思うんであって、存続したところで続けていけた関係者がどのくらいいたか。
1着賞金10万円で、安い日当で続けていけた人間がどのくらいいたか。

騎手なんか、一流の技術をもっている連中がたくさんいたわけだし、彼らに存続したから日当2万円でやれなんて言えないじゃないですか。よそへ移籍しても通用する騎手ばかりなんだし。

わたし自身は、賞金も手当も廃止当時の半分になってでも存続してもらいたかったと思っていましたけどね」

と、かつて語ってくれました。
実は、廃止後10年をキッカケに、うつのみや競馬・足利競馬の関係者から多数、お話をうかがいました。
本当は何とかしてこれをまとめたいと思っているのですが、なかなかうまくいかず、うかがったお話ばかりがたまっています。
そういうたくさんの証言や感想を見ると、菅原師のように

「賞金や手当などの条件が大きく悪化したとしても、うつのみや競馬に存続してもらいたかった」

と言うひとが大多数です。
ただし、その大多数の意見は、やはり菅原師と同様に、

「しかしその条件では、続けていくことができない人間が続出しただろう」

というふうに続きます。

2005年3月のうつのみや競馬廃止後、菅原師のように移籍して現役を続行した人々。
競馬から完全に離れた人々。
競馬から離れたものの、のちに戻った人々。

そうした多くの人たちの言葉を、おいおいご紹介できればと考えています。
菅原欣也調教師は、うつのみや競馬廃止の際、調教師をやめようとは全く思わなかったと言います。
そして、「金沢の競馬は北関東時代の延長…」と言う一方で、

「金沢の(冬季休みのある競馬場での)やり方にも慣れたし、続けてこられた。1000勝の区切りを金沢でできたことは、幸せに思っています」

と、しみじみと語りました。

菅原師1000勝のうち、金沢移籍後にあげた勝利は530を超えました。

宇都宮の菅原師が金沢で調教師を続けてきた、という認識を、わたしはそろそろ改めようと思います。
金沢の菅原調教師は、そのキャリアを北関東でスタートさせ、現在も金沢競馬の中心的調教師さんとして活躍中です。





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最終更新日  2016年12月12日 23時58分49秒
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